桜梅桃李倶楽部

どの宗教でも
幸せになれるのですか?
現代人の宗教心

あなたは、「宗教」「信仰」について、どのような考えをおもちでしょうか?日本人のなかには、無宗教を自負し、信仰など必要ないと考えている人もおおいようです
しかし、無宗教と言いながら、初詣は神社に、結婚式は教会で、葬式は先祖からのお寺に頼むというように、現代の日本では、宗教を単なる通過儀礼の様に考えている人もいます。
釈尊(お釈迦様)は、信仰心のない人のことを「仏という人生の根本の師を知らず、もっとも慈愛深い親を持たず、したがって仏の救済もなく、護られることもなく、何を目的として生きるのかも知らず、正法の財宝(功徳)にも恵まれなることのない、心の貧しい人である」(涅槃経・取意)と説かれています。
宗教ならどれでもいいの?
では、宗教であれば、どれでもよいのでしょうか?
宗教のなかには、経典も教義も低度なものから、道理に合った高度な教義を持つものまで、歴然とした違いがあります。低くて浅い、誤った本尊・教義の邪まな宗教を信ずれば、必ず不幸な結果を招くことになるのです。
日蓮大聖人は、『立正安国論』に経文を引かれて、「正法を信ぜず、信仰を壊る者は、福徳が尽き、孝養心のある子供に恵まれず、親子・兄弟・親戚が仲違いをしていがみ合う。天候不順で作物も実らず、悪病が流行し、悪い思想も蔓延し、生活を脅かす。
奇怪な事件や災いが次々に起こり、死後は苦しみの地獄、餓鬼、畜生の世界に堕ちる。」(御書249頁取意)と仰せです。
このように、誤った宗教を信ずれば、心身両面にわたって不幸な結果を招き、人生を台無しにしてしまうことになるのです。

真の幸せは正しい信仰によって!

正しい信仰は、私たちに最高の利益と、崩れることのない幸福、そして勇気と希望を与えてくれます。
日蓮大聖人は、正法たる妙法を信受する功徳について、「(御本尊を信じ)南無妙法蓮華経を唱えるならば、あらゆる罪を消すことができ、必ず様々な幸いがもたらされる。この教えは、たいへん深く真実である。」(聖愚問答抄:御書406頁取意)と仰せです。
誰もが、幸せな人生を望み、努力しています。しかし、真の幸せを求めるのであれば、それは正しい信仰を持つ以外にありません。
かけがえのない人生を幸福なものとするため、ぜひ、日蓮正宗の僧侶の話しや、喜々として信仰に励む日蓮正宗信徒方の体験を聞いて下さい。心から納得できる正しい教えに出会えることでしょう。