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桜梅桃李倶楽部
記事一覧


🌸 南無妙法蓮華経による「罪障消滅」と「業因の転換」
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 — 日蓮大聖人様の御書に基づく、人生を変える法の力 — 1. はじめに ― 題目によって「業因」は変えられる 人生の苦悩や不運、繰り返す問題── それらは偶然ではなく、仏法ではすべて因果の法則によって起こると説かれます。 「過去の因によって現在の果報を受くるは、因果の道理なり」(御書 1238頁) この「過去の因」とは、過去世を含めた自分の**業因(ごういん)**のことです。 悪因を積んだ結果、現世で苦しみや障りとして現れる。 それが「罪障(ざいしょう)」です。 しかし日蓮大聖人様は、この業因を変えられる道を示されました。 それが、南無妙法蓮華経の唱題です。 2. 題目の功徳 ― 「罪障を消滅し福徳を生ずる法」 「妙法蓮華経は、罪障を消滅して福徳を生ずる法なり」(御書 1137頁) この御文の通り、妙法を信受して唱題すると、 過去世からの悪因・罪障が清めら
2025年12月29日


🌸 唱題を深めるための五つの実践
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 — 日蓮大聖人様の御書と日蓮正宗の教義に基づく、信心の具体的修行法 — 1. はじめに ― 「信心即生活」の実践こそ成仏の道 日蓮大聖人様は、信心を形式ではなく実践の中で証明することを強く説かれています。 「行学の二道をはげみ候べし。行学たえなば仏法はあるべからず。」 (『諸法実相抄』 御書 668頁) ここでいう「行」とは、唱題・折伏などの実践。 「学」とは、御書・教義を学び信心の智慧を磨くこと。 この「行学二道」を日々実践することが、 現世の安穏と久遠の成仏を確立する唯一の道なのです。 2. 第一の実践 ― 毎日の勤行・唱題 意義 勤行・唱題は、日々の生活の中で御本尊様に向かい、 自分の生命を妙法に合わせる最も根本の修行です。 「朝夕の勤行を怠ることなかれ、此れ信心の根本なり」(御書 1174頁) 勤行は、生命のリズムを正し、 一日の始まりと終わりに仏
2025年12月23日


🌸 唱題によって開く「永遠の幸福(久遠の成仏)」
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 — 日蓮大聖人様の御書に示される、妙法の究極の目的 — 日蓮大聖人様の仏法は、 「末法万年尽未来際」にわたって人々を救う永遠の成仏の法です。 御書に曰く: 「我等が唱うる南無妙法蓮華経は、久遠元初の自受用身の南無妙法蓮華経なり」(御書 832頁) ここで説かれる「久遠元初(くおんがんじょ)」とは、 時間の始まりを超えた、永遠の生命の本源。 私たち一人ひとりの中にも、もともと久遠の仏界が存在している。 つまり、南無妙法蓮華経を唱えるということは、 自分自身の中の永遠の仏を呼び覚ます行為なのです。 2. 成仏とは「特別な人」ではなく、誰もが到達できる境界 一般に「成仏」と聞くと、死後のことや、 特別な修行者だけの境地と思われがちです。 しかし日蓮大聖人様は、こう断言されます。 「凡夫成仏の法門、此の経に過ぎたるはなし」(御書 1357頁) つまり、凡夫のまま成
2025年12月17日


「唱題による『現世安穏・後生善処』の具体的解釈と御書の根拠」
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 # 唱題による「現世安穏・後生善処」 — 日蓮正宗の御書に基づく、人生と死後の幸福の真実 — --- ## 1. はじめに ― 「現世安穏・後生善処」とは何か この言葉は、日蓮大聖人様がしばしば御書で示される根本の教えです。 > 「此の経を持つ人は、現世安穏・後生善処なるべし」(御書 340頁) ここでいう「現世安穏(げんぜあんのん)」とは、 今生きているこの人生における安心・幸福・安定 を意味し、 「後生善処(ごしょうぜんじょ)」とは、 死後も苦しみの世界に堕せず、清らかな境界に生まれる ことを意味します。 つまりこの御文は、 妙法を信じ唱える人は、生きている今も死後も共に幸福である という究極の教えを示されています。 --- ## 2. 「現世安穏」— この世での安らぎと幸福の根拠 日蓮大聖人様は説かれます。 >...
2025年12月6日


🌸 唱題によって現れる「三障四魔」の意味と、正しい乗り越え方
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 1. はじめに ― なぜ信心を始めると障魔が起こるのか 日蓮大聖人様は、御書の中で次のように明確に説かれています。 「仏法を修行するには必ず魔障競い起こる」(御書 997頁) これは、「信心しているのに、なぜ苦しいことが起こるのか」という 多くの人の疑問に対する根本の答えです。 唱題によって生命の奥底の仏界が目覚めようとすると、 それを妨げる**迷いや煩悩の力(魔)**が必ず現れる。 これを「三障四魔(さんしょうしま)」といいます。 しかし大聖人様は断言されます。 「魔競はずは正法と知るべからず」(御書 998頁) つまり、障魔が起こるということは、 あなたの信心が正しい証拠なのです。 2. 三障とは ― 生命の三つの迷いの根 日蓮正宗の教義では、 「三障」とは自分の生命の中にある三種の煩悩の働きをいいます。 名称 意味 現れ方の例 煩悩障(ぼんのうしょう
2025年11月29日


🌸 唱題によって得られる五つの功徳
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 序:唱題は「生命の宝庫」を開く鍵 日蓮大聖人様は、 「南無妙法蓮華経は一切の功徳を具足す」(御書 832頁) と仰せです。 つまり、唱題とは単なる信仰行為ではなく、 すべての善根・福徳を生み出す生命の法則を起動することです。 ここでは、御書に説かれる功徳を現代的に整理し、 五つの視点から解説します。 第一の功徳 心の安穏(内なる平和) 「此の経を持つ人は、現世安穏・後生善処なるべし」(御書 340頁) 唱題の第一の功徳は、 心の中に「揺るがぬ安穏(あんのん)」が生まれることです。 私たちは日々、怒り・恐れ・不安などに心を乱されます。 しかし題目を唱えると、 心が仏法のリズムに調い、迷いが静まっていきます。 日蓮大聖人様は、 「南無妙法蓮華経は一切の病の良薬なり」(御書 1101頁) と仰せの通り、 心の病も、唱題によって少しずつ癒されていきます。 これは単
2025年11月25日


人生が変わる言葉「南無妙法蓮華経」の秘密を解説
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 1. 「南無妙法蓮華経」とは何か 「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」とは、 仏の悟りの生命そのものであり、 一切衆生が本来そなえている仏の境界(仏界)を呼び覚ます根本の題目です。 日蓮大聖人様は、 「南無妙法蓮華経は一切仏の成仏の眼目なり」(御書 832頁) と示され、 この題目こそが仏道修行の根本であり、 過去・現在・未来の三世にわたる救いの法であると断言されています。 2. 「南無」の意味 ― 帰依と決意 「南無」とはサンスクリット語の namas の音訳で、 「帰命」すなわち、自らの生命をささげて信ずる」 という意味です。 すなわち、 自分の迷いや煩悩に支配された心を仏法に帰し、 妙法に生きる決意をあらわします。 日蓮大聖人様はこう仰せです: 「南無とは、我身を法華経にまかせまいらせて候なり」(御書 1164頁) つまり、人生を変える第
2025年11月16日


「迷いの海を渡る法華経」「南無妙法蓮華経で人生を変える」
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 迷いの海を渡る法華経 ― 南無妙法蓮華経で人生を変える ― 人生は、思い通りにならない苦悩・迷い・不安の連続であり、仏法ではこれを「生死の大海(しょうじのたいかい)」と説きます。この迷いの海を渡り、真実の幸福と安穏を得る舟こそが、法華経(ほけきょう)であり、その根本の信仰が南無妙法蓮華経なのです。 一、迷いの根本は「無明(むみょう)」にあり 日蓮大聖人様は『開目抄』において次のように説かれています。 「生死の大海を渡るには妙法蓮華経を船とす。」 (『御書』561頁) この御文は、私たちが抱える迷いや苦悩(生死の海)を乗り越えるためには、法華経、すなわち妙法蓮華経の信仰こそが唯一の舟であると明示されています。 世の中の多くの人々は、名利・欲望・我執などの波に翻弄されて生きています。これが「無明の闇」です。 二、南無妙法蓮華経こそ人生を変える大法...
2025年11月10日


「菩提心(ぼだいしん)を起こし、保つ」
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 1. 「菩提心(ぼだいしん)」とは何か? 日蓮正宗の教えで言う「菩提心」とは、「仏になりたいという心」、 「真実の幸福を求める心」、 そして 「そのために仏法を実践しようという決意」 のことです。 仏道修行の始まりは、まずこの心を起こすところから始まります。 日蓮大聖人様は「これを起こさねば何事も始まらぬ」と教えられました。 たとえば、 「今度強盛(ごうじょう)の菩提心をおこして、退転せじと願じぬ」(開目抄) ──つまり、 「今こそ強い決意で仏の道を志し、どんなことがあってもあきらめないと誓った」 という意味です。 2. 菩提心を「起こすこと」は誰にでもできる 日蓮大聖人様はこうも仰せです。 「魚の子は多けれども魚となるは少なく、 菴羅樹(あんらじゅ)の花は多く咲けども実になるは少なし。 人もまたかくのごとし。 菩提心を発す人は多けれども、退せずして実の道
2025年10月31日


日常生活の心の乱れと日蓮大聖人様の教えによる心の平安
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 1. 日常生活における心の乱れ 私たちの日常には、さまざまな心の乱れが生じます。 人間関係:家族や職場での衝突・不信感 経済的不安:仕事、収入、将来への心配 健康問題:病気や老いへの恐れ 社会環境:災害・戦争・社会不安 自己への迷い:過去の後悔、将来の不安、劣等感 これらの悩みは表面的には違って見えますが、仏法ではすべて「無明」(仏法を知らぬ迷い)に根本原因があると説かれます。 2. 日蓮大聖人様の教えからの解決法 日蓮正宗では、心の乱れを克服し真の安穏を得る道は、日蓮大聖人様の出世の本懐である弘安2年10月12日御図顕の本門戒壇の大御本尊様に対する信心と唱題の実践にあると教えます。 苦悩を消そうとするのではなく、どのような苦境にあっても動じない境地を築くことが大切。 信心を根本に「心の財」を積むことで、外的条件に左右されない平安を得られる。 3. 御書の
2025年10月19日


「日蓮大聖人様の教え 貴方の可能性を引き出す南無妙法蓮華経」
第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 はじめに──「可能性」とは何か 日蓮正宗において、人間の「可能性」とは単なる能力の話ではなく、本来具わる仏性を顕し、成仏へ向かう生命のはたらきを意味します。 つまり、 「罪障を滅し、福徳を積み、本門戒壇の大御本尊様を根本とした信行によって、仏の生命を現実の中で発揮すること」 これが、日蓮正宗における「可能性を引き出す」ということの正しい意味です。 ①:弘安2年10月12日御図顕の本門戒壇の大御本尊様への信心・勤行唱題 「一切の経典は南無妙法蓮華経の五字にはすぎず。此の五字を持つ人は一切の仏・菩薩の功徳、自然に其の身にそなはるべし」 —『如説修行抄』(御書 673頁) 解説 日蓮大聖人様が出世の本懐として御図顕された「弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊様」を根本に信心を起こすことで、自己の生命に本来そなわる仏界を呼び起こすことができます。...
2025年10月11日


三世の因果 因果の理法からは誰人も逃れる事はできない その解決方法
およそ、世の中の物事で、原因なくして結果が生じたり、原因はあるのに結果が生じない、などということは何ひとつありません。 私達の人生における苦・楽や幸・不幸も、また偶然によるものではなく、何かしらの原因が招いた結果であるはずです。 仏法では、 私達の人生の幸・不幸が、三世(過去・現在・未来)にわたる因果の理法 によって定まっていることを解き明かしております。 たとえば、『心地観経』という教典には、 「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ」 とあります。 すなわち、自分自身の過去からの善悪さまざまな行いの集積が、宿業(善業と悪業)とになって生命に刻みつけられ、それが現在の人生に苦・楽や幸・不幸という果報をもたらしている。そして、また現在に作っている原因は、新たな宿業として生命に刻まれ、必ず将来にその果報が現れる、というのであります。 この因果の理からすれば、生まれついての病や貧富の差などは、今生に生を受ける以前、すなわち過去世において原因が作られており、また、今生で果報を受け終わらなかった宿業は、
2025年10月4日


現在の創価学会は破門前の池田先生の指導と正反対!!No,3
(池田大作著「立正安国論講義」創価学会 P771) 日蓮大聖人様が出生の本懐として建立された一閻浮提総与の大御本尊が三大秘法総在の御本尊であり、この御本尊に帰命すること、その信仰を全世界に広宣流布することが立正安国の実践となるのである。 (池田大作著「御義口伝講義(下)創価学会 P238) 持っぽうのわれら衆生の新法すべき御本尊は、日蓮大聖人であり、また大聖人の御生命を、一幅の大曼荼羅として認められた、弘安二年十月十二日の一閻浮提総与の大御本尊以外には絶対にないのである。 (池田大作著「日蓮大聖人御書十六部講義 第五巻 報恩抄」創価学会 P274) 正しき日蓮正宗の大御本尊を信ずる以外には、真の信心はありえないことを知るべきである。 (池田大作著「日蓮大聖人御書十六部講義 第五巻 報恩抄」創価学会 P362) 三大秘法中の本門の題目とは、大御本尊様を信じて南無妙法蓮華経と唱うることである。 (池田大作著「会長講演集」第10巻 創価学会 P192) 大御本尊を拝まなければ、もう学会員ではないのです。 【桜梅桃李倶楽部:村田】
2025年9月27日


現在の創価学会は破門前の池田先生の指導と正反対!!No,2
(池田大作著「会長講演集」第2巻 創価学会 P56) 大聖人はどのようにおおせになったか。末宝において成仏する道は、絶対の幸福生活を会得する直道は、弘安二年十月十一日の大御本尊様を拝む以外にない。 (池田大作著「会長講演集」第8巻 創価学会 P167) 大御本尊様をもたないで、大御本尊様をもったものを誹謗すれば、かならず地獄におちる。 (池田大作著「会長講演集」第9巻 創価学会 P323) 一生涯、大御本尊様と離れないで、大御本尊様を放さずに、まっすぐに進んでいけば、あとの指導はなにもないのです。ぜんぶふくまれます。 「善に付け悪きにつけ法華経をすつるは地獄の業なるべし」(開目抄二三二)です。 (池田大作著「開目抄に学ぶ」東洋哲学研究所「講座教学研究所【2】所収 P12) 三大秘法総在の戒壇の大御本尊を絶対に疑ってはならない、捨ててはならない、 (池田大作著「御義口伝講義(上)」創価学会 P94) 出世の本懐として顕された本門戒壇の大御本尊こそ、究竟中の究竟の御心なのである。この大御本尊を否定して、いかに大聖人の御書を拝読しても、法華経を賛嘆して
2025年9月20日


現在の創価学会は破門前の池田先生の指導と正反対!!
【広布と人生を語る 三ー二七一】 社会はますます複雑になっていくであろう。その動向に対処するため、学会も多様性を要請される場合がある。しかし、ただ、次の点だけは不動の路線であることを忘れてはならない。それは、 一、三大秘法の大御本尊が一切の根本であると拝していくことだ。...
2025年9月14日


(続)現在の創価学会は戸田先生の指導と正反対「本門戒壇大御本尊様について」
昭和24年10月2日:創価学会第4回総会(東京教育会館) わたくしたちは、無知な人々をみちびく車屋である。 迷っている人があれば車にのせて、大御本尊様の御もとに案内していくのが、学会唯一の使命である。宝の山に入って、宝をとるかとらないかは、その人の信心の結果であって、ただ宝の山たる大御本尊様へ案内するのが、われわれ学会の尊い使命なのである。 戸田城聖監修「折伏教典」創価学会(昭和29年版:139〜140頁) 弘安2年の大御本尊に帰依し奉る以外に成仏得道の道は絶対にないのである 聖教新聞社『戸田城聖全集』第5巻所収「立正安国論講義:156頁) 本門戒壇の大御本尊を信じ奉らない者は、すべて謗法として禁じなければならない 『大百蓮華』昭和32年4月号31 ※戸田会長存命中の創価学会の教育理論機関紙であるから、その内容の責任は当然当時の会長戸田氏にあることは言うまでもない 大海の水と小さな器の水では、同じ海水であっても違うように、本門戒壇の大御本尊は無量無辺の大海の水であり、末法万年の外未来までも流れる一切大衆の信仰の根源であり、功徳の本源であります。私
2025年9月6日


現在の創価学会は戸田先生の指導と正反対!!
【戸田城聖全集:第4巻343頁】 弘安2年の10月12日の大御本尊様のただ一幅なのです。そこから、分身散体の方程式によりまして、ずうっと出てくるのです。それから、ほかの本尊、どこのを拝んでも絶体にだめなのです。弘安2年の10月12日の大御本尊様から出発したものでなければ、法脈が切れてますから、絶対だめなのです。 ですから、私の願いとするところは、この弘安2年の10月12日の大御本尊様を信ずるということです。 しかし、理論がわかっても、わからなくてもいい。だんだんそのうちにわかる。絶対だということがわかる。この日蓮正宗の哲学ぐらい、きちんとなっているものはないのです。 【創価学会発行「折伏教典」339頁】 電灯にたとえて考えてみると、ヒューズがとんで電流が流れてこない電灯は、電球が切れていないからといって、いくらつけても明るい光を発しないようなもので、電球は本物であっても、電流が流れてこなければひかりが出ないのである(中略)したがって富士大石寺の大御本尊様を拝まないものはすべて謗法である。 【戸田城聖全集3:490頁】 なんといっても、御本山に登り
2025年8月31日


創価学会幹部より、弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊は日蓮大聖人様の直筆では無い
結論から言いますと間違いなく日蓮大聖人様の直筆の御本尊様です。 ただし、800年も経って私達もそれを直接証明はできません。が、 唯授一人の血脈相承、日蓮大聖人様は御入滅に先立ち、後継者として第二祖日興上人お一人を選定し、本門戒壇の大御本尊をはじめとする仏法の一切を付属されました。 これを「唯授一人の血脈相承」といいます。 この様にして、代々の猊下様に伝えられ第68世日如猊下様まで伝わってきています。 伝えられる方法は金紙・金口、分かりやすく言うと、紙ベースと口伝で伝えられています。 これは、代々の猊下様しか見ることも知ることも出来ませんが、その内容をほんの少しだけ御指南される事があります。 日寛上人は、日蓮正宗の大石寺第26世の法主であり、本門戒壇の大御本尊を深く信仰し、その教義を確立した人物として知られています。本門戒壇の大御本尊は、日蓮大聖人が弘安2年(1279年)に建立されたとされ、日蓮正宗における信仰の根本と位置づけられています。 日寛上人は、日蓮大聖人の仏法を正しく理解し、実践するために、大御本尊を中心とした教義を体系化しました。特に、
2025年8月17日


南無妙法蓮華経とは
南無とは帰命、すなわち妙法蓮華経に絶対にしたがうという意味です。妙法とは、我々人間の智であり計り知れない不思議な法であり、蓮華の法であります。われわれは泥沼にいるのです。泥沼から咲く花は美しい、華の実が功徳となって現れる。これが、因果倶時であります。経とは我々がこれをありがたいと思う事です。これ自体が我々の運命を支配するのです。 別の立場からこれを拝せば、無作三身如来すなわち根本の仏様であり、永遠に不変の仏の御名を言います。末法にはいっては日蓮大聖人様御自身所有の、久遠元初のありのままの生命と力とを、大御本尊様にしたためられたのが、法本尊即日蓮大聖人様、人本尊です。すなわち 人法一箇 であります。 我々が信心すれば、日蓮大聖人様の所有の根本のちからが、我々の生命に感応して湧いてくるのです。我々もやはり、ありのままの永遠真如の自分に変わるのです。 これが、南無妙法蓮華経の実体であります。 桜梅桃李倶楽部では宗教に悩んでいる方、今所属している宗教団体にに疑問をもっている方などからの相談を受けております。
2025年8月9日


日蓮大聖人様の仏法と政治選挙について
現在の選挙のシステムは国民1人1人の投票によって票を多く獲得した候補者が当選する。 そして当選した人によって政治が行われる。 立法府である国会において、国家の平和で安穏な社会実現の為の法律が作られていく訳 ですが、中々上手く実現していないのが現在の状況である。 日蓮大聖人様は世の中の一切の不幸の根源は誤った宗教にあるとし、個人の罪障消滅、成仏、現世安穏、後生善処、国家国土世界の安寧と平和の実現の為には、正しい法を打ち立てていく以外には実現しないとして、折伏を行じられました。 確かに日蓮大聖人様の御在世当時は選挙はありませんでしたが、自分たちの仲間を役人や権力者に送り込んだのではなく、権力者、役人、全ての人々を一人一人折伏されたのであります。 選挙の大切さ 現在の選挙について、私は否定するものではなく、選挙は国民の権利であり義務であると思っていますので、投票に行くべきだと思います。 本当の意味において、一部の人のみが得をするような考えの党、組織ではなく、平和で安穏な社会にしてくれる党、組織はどこかをしっかりと見極めて投票することが大切でしょう。
2025年7月28日
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