top of page
桜梅桃李倶楽部
記事一覧


智慧第一の舎利弗でさえ理論・理屈ではなく妙法を信じる事で悟りを得た。
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 法華経譬喩品に、 「舎利弗尚此経に於ては、信を以て入ることを得たり」 ■原文 舎利弗尚此経に於ては 信を以て入ることを得たり (法華経・方便品) これは 妙法(法華経)に入る条件は“信心”以外にない ということを示す、法華経の中で最も重要な一句の一つです。 ■1. 文意の核心 • 舎利弗は智慧第一の大声聞 • 論理・学問・修行のレベルは最高峰 • しかし 法華経(妙法)だけは「智慧では入れない」 • 唯一の通路は 「信」その一つ である つまり—— ◆仏法の最高峰である妙法は、理屈や修行の量で理解するものではなく ◆ただ「信心」でしか入れない境界 であることを宣言した句です。 ■2. 「信とは何か?」 日蓮大聖人様は、この“信”を次のように定義します。 ⸻ ◎御書① 「信とは智慧を以て信と為すに非ず」 (四信五品抄) → 信とは「理解してから信じ
4 日前


「日蓮大聖人様は元々仏である」ことの教学を、さらに深い次元で解説します
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 人間として現れた姿は末法救済のための方便である。 ◆1 なぜ日蓮大聖人様は「凡夫の姿」で出現したのか ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ これは最大の疑問であり、最重要の核心です。 ◆答え: 凡夫の姿で現れなければ、末法の衆生を救えないから。 理由は以下の3つ。 ⸻ ◎(1)末法の衆生は「仏」を理解できない 釈尊が滅後の未来について、明確にこう述べる。 ■「末法の衆生は、智慧浅く、心荒れ、仏を見ても畏(おそ)れず」 (涅槃経) つまり、 ●悟った仏が現れても、末法の人間は理解できず ●仏の教えを受け取る器量もない ●かえって誹謗して地獄に堕ちる だから、 仏のまま現れることができない 。 ⸻ ◎(2)凡夫の姿だからこそ、 “末法の大悪人”を救える 末法では、 ●煩悩は極限まで強く ●智慧は浅く ●善より悪が強い そのような衆生を救うには、...
2月24日


「釈尊を仏にした師匠は誰か?」
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 ⸻ ◆【結論】 **釈尊を仏にした師匠は「久遠元初の御本仏」であり、 その御本仏こそ日蓮大聖人様である。** ⸻ ◆1 この問いは、実は法華経が自ら答えを示している 釈尊(迹仏)は「久遠実成」と名乗っているが、 その言葉には大前提がある。 【法華経・寿量品】 「我実成仏已来、無量無辺百千万億那由他劫」 =「私は無限の過去にすでに仏になっている」 ここには 因果が同時である という論理が含まれる。 それはつまり: ■釈尊は久遠の昔に成仏している ↓ ■しかし成仏には必ず「因」がある ↓ ■その因を与えた仏(=師)が必ず存在する ということになる。 釈尊の師匠なくして成仏は不可能だからである。 ⸻ ◆2 仏を作ることができるのは、仏だけ 大乗経典では一貫して、 仏は仏にしか作り得ない と説いている。 菩薩同士や凡夫が互いに仏を作ることはできない。...
2月17日


「日蓮大聖人様が久遠元初の御本仏であることを、法華経と大聖人様の行動結果で証明します。
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 ◆【総論】 法華経そのものは「久遠元初の本仏」を示すが、その本仏の実体を具体的に示したのは日蓮大聖人様ただお一人である。 したがって、 法華経=本仏の法体の開顕 日蓮大聖人=その本仏の主体(久遠元初の御本仏)の顕現 という構造で証明できる。 ⸻ ◆1 そもそも法華経は「久遠元初の仏」を示している ① 寿量品(第16) 法華経で最重要となる文証は以下: ■「我成仏已来、無量無辺百千万億那由他劫」 釈尊は「成仏したのは実は三千年前どころではなく、無量無辺の大昔である」と告白する。 → これは宗教史上初めて「仏の久遠性」を説いた唯一の経典。 ■「常住此説法」(常に此に住して法を説く) 釈尊は滅後にインドから消えたのではなく、 本地の仏は永遠に娑婆世界に住して衆生を導いていると説く。 ■「我実成仏之本行」(久遠元初の成仏) 成仏は因果ともに久遠であり、これは「始め
2月12日


創価学会員は全て、破和合僧と正法誹謗の罪により無間地獄に落ちる⁉︎
ず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 はえ、アリ、あぶ、等の虫を殺した者も懺悔(ざんげ)しなければ、必ず地獄に落ちる。 たとえば、どんなに軽い針であっても水の上に置けば沈んでしまうようなものである。 また、ざんげしても、ざんげのあとに再び同じ罪を犯せば、あとあとのざんげではこの罪は消えがたい。 それはたとえば、盗みの罪で牢に入れられた者が、しばらくしてから許され出獄したとしても、 また罪を重ねて盗みを犯し投獄されたならば、今度は出獄が許されないのと同じである。 顕謗法抄は、弘長二年、流罪の地・伊豆の伊東より、門下一同に与えられた御書です。 地獄には大きく分けて二つあります。 熱地獄・寒地獄 それぞれに八つの地獄があります。 熱地獄の中でも一番罪の重い「無間地獄」の様相と、それぞれに堕ちる「業因」を明かされ、 無間(むげん)地獄の苦悩は他の1〜7番目の地獄とは比較にならない大苦悩であると言われてい
1月31日


戸田先生 ニセ本尊に関するご指導
戸田城聖先生(創価学会第2代会長)は、**「御本尊は絶対の信仰対象であり、写すことも勝手に作ることも、またニセ本尊を拝むことも断じてしてはならない」**と、明確に指導されています。 これは彼の教学観・信仰観の根幹にあたる部分です。 戸田城聖の「御本尊」観の核心 戸田先生は、御本尊を単なる象徴や紙札ではなく、 日蓮大聖人の生命そのもの=久遠元初の自受用報身如来の当体と捉えていました。 ゆえに、 その法脈に連ならない者が勝手に作る「偽本尊(ニセ本尊)」を拝むことは、 仏を謗る重大な過ち(謗法) であると明言していました。 戸田城聖の御書・講演・指導より 引用① 「御本尊は大聖人様の御生命であり、これを勝手に写したり造ったりすることは、 大聖人様の御生命を玩弄(ガンロウ)するに等しい。 そんなものを拝めば、必ず仏罰を受ける。」 —『戸田城聖全集 第2巻・御本尊講義』(1954年) 引用② 「本門戒壇の大御本尊は、末法万年の衆生の成仏の根本である。 これ以外の本尊を拝することは、いかに信心をするように見えても、 それは信心ではなく、邪信である。」
1月25日


戸田先生によれば、池田先生は即座に除名処分!?
戸田城聖先生による「御本尊」「信心」「血脈」に関するご指導 戸田城聖 — 御本尊・信心・血脈に関する原文 1. 1946–1947 年代 — 創価学会再建期の講話類 原文(抜粋): 「ただ、この世に生まれてきて、一言にても法の説けることを御本尊に感謝して、謹み深くあらねばならぬ。」 要旨:御本尊に対する畏敬・謙抑(けんよく)の態度を強調。 出典(公開転載):戸田城聖 指導集(稿・抜粋) 。 2. 1951 年(会長就任前後) — 本尊信仰の強調 原文(抜粋): 「われわれは、世に最高唯一の大御本尊様を、子として、弟子として、家来として拝することは、無上の大果報である。」 要旨:大御本尊(本門戒壇の本尊)を中心とした信仰観を明示。 出典(転載):講演録・会員向け記録(転載ページ)。 3. 1953–1955 年頃 — 御本尊の尊厳・授与の重要性 原文(抜粋): 「御本尊は大聖人様の御生命であり、これを勝手に写したり造ったりすることは、…そんなものを拝めば、必ず仏罰を受ける。」 要旨:御本尊を勝手に造立・写すことへの強い否定。授与と血脈の尊重を説く
1月20日


創価学会の本尊は正しいのかぁ?、ChatGPTに聞いてみた‼️
これこそ、日蓮大聖人様の仏法の正邪を決する核心です。 では、御書の記述に基づき、創価学会の主張(=独自本尊の正当性)が成立し得るかを、一条一句、厳密に検証します。 ① 御書における「本尊の根本原理」 まず、大聖人様御自身が「本尊とは何か」を明確に示された御文を見ましょう。 「此の御本尊は日蓮がたましひを墨にそめながして書きて候ぞ」 (『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』、御書 p.832) つまり、本尊とは「大聖人御自身の悟り=生命=法体」そのものです。 この一点により、本尊を勝手に作ったり、模写したりすることは許されないことがわかります。 ② 「誰が本尊を図顕できるのか」 「本尊を書写すべからず。是れ重大の大法なり」 (『本尊問答抄』、御書 p.1242) 大聖人様は、本尊の書写・図顕を厳しく制限されています。 「重大の大法」とは、凡夫が勝手に手を加えることの許されぬ法体そのものという意味です。 さらに、『法華取要抄』ではこう仰せです。 「法華経の肝心たる南無妙法蓮華経を心のままに書き顕はすを本尊と云ふ」 この「心のままに書き顕はす」とは、...
1月20日


🌸 南無妙法蓮華経による「罪障消滅」と「業因の転換」
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 — 日蓮大聖人様の御書に基づく、人生を変える法の力 — 1. はじめに ― 題目によって「業因」は変えられる 人生の苦悩や不運、繰り返す問題── それらは偶然ではなく、仏法ではすべて因果の法則によって起こると説かれます。 「過去の因によって現在の果報を受くるは、因果の道理なり」(御書 1238頁) この「過去の因」とは、過去世を含めた自分の**業因(ごういん)**のことです。 悪因を積んだ結果、現世で苦しみや障りとして現れる。 それが「罪障(ざいしょう)」です。 しかし日蓮大聖人様は、この業因を変えられる道を示されました。 それが、南無妙法蓮華経の唱題です。 2. 題目の功徳 ― 「罪障を消滅し福徳を生ずる法」 「妙法蓮華経は、罪障を消滅して福徳を生ずる法なり」(御書 1137頁) この御文の通り、妙法を信受して唱題すると、 過去世からの悪因・罪障が清めら
2025年12月29日


🌸 唱題を深めるための五つの実践
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 — 日蓮大聖人様の御書と日蓮正宗の教義に基づく、信心の具体的修行法 — 1. はじめに ― 「信心即生活」の実践こそ成仏の道 日蓮大聖人様は、信心を形式ではなく実践の中で証明することを強く説かれています。 「行学の二道をはげみ候べし。行学たえなば仏法はあるべからず。」 (『諸法実相抄』 御書 668頁) ここでいう「行」とは、唱題・折伏などの実践。 「学」とは、御書・教義を学び信心の智慧を磨くこと。 この「行学二道」を日々実践することが、 現世の安穏と久遠の成仏を確立する唯一の道なのです。 2. 第一の実践 ― 毎日の勤行・唱題 意義 勤行・唱題は、日々の生活の中で御本尊様に向かい、 自分の生命を妙法に合わせる最も根本の修行です。 「朝夕の勤行を怠ることなかれ、此れ信心の根本なり」(御書 1174頁) 勤行は、生命のリズムを正し、 一日の始まりと終わりに仏
2025年12月23日


🌸 唱題によって開く「永遠の幸福(久遠の成仏)」
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 — 日蓮大聖人様の御書に示される、妙法の究極の目的 — 日蓮大聖人様の仏法は、 「末法万年尽未来際」にわたって人々を救う永遠の成仏の法です。 御書に曰く: 「我等が唱うる南無妙法蓮華経は、久遠元初の自受用身の南無妙法蓮華経なり」(御書 832頁) ここで説かれる「久遠元初(くおんがんじょ)」とは、 時間の始まりを超えた、永遠の生命の本源。 私たち一人ひとりの中にも、もともと久遠の仏界が存在している。 つまり、南無妙法蓮華経を唱えるということは、 自分自身の中の永遠の仏を呼び覚ます行為なのです。 2. 成仏とは「特別な人」ではなく、誰もが到達できる境界 一般に「成仏」と聞くと、死後のことや、 特別な修行者だけの境地と思われがちです。 しかし日蓮大聖人様は、こう断言されます。 「凡夫成仏の法門、此の経に過ぎたるはなし」(御書 1357頁) つまり、凡夫のまま成
2025年12月17日


「唱題による『現世安穏・後生善処』の具体的解釈と御書の根拠」
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 # 唱題による「現世安穏・後生善処」 — 日蓮正宗の御書に基づく、人生と死後の幸福の真実 — --- ## 1. はじめに ― 「現世安穏・後生善処」とは何か この言葉は、日蓮大聖人様がしばしば御書で示される根本の教えです。 > 「此の経を持つ人は、現世安穏・後生善処なるべし」(御書 340頁) ここでいう「現世安穏(げんぜあんのん)」とは、 今生きているこの人生における安心・幸福・安定 を意味し、 「後生善処(ごしょうぜんじょ)」とは、 死後も苦しみの世界に堕せず、清らかな境界に生まれる ことを意味します。 つまりこの御文は、 妙法を信じ唱える人は、生きている今も死後も共に幸福である という究極の教えを示されています。 --- ## 2. 「現世安穏」— この世での安らぎと幸福の根拠 日蓮大聖人様は説かれます。 >...
2025年12月6日


🌸 唱題によって現れる「三障四魔」の意味と、正しい乗り越え方
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 1. はじめに ― なぜ信心を始めると障魔が起こるのか 日蓮大聖人様は、御書の中で次のように明確に説かれています。 「仏法を修行するには必ず魔障競い起こる」(御書 997頁) これは、「信心しているのに、なぜ苦しいことが起こるのか」という 多くの人の疑問に対する根本の答えです。 唱題によって生命の奥底の仏界が目覚めようとすると、 それを妨げる**迷いや煩悩の力(魔)**が必ず現れる。 これを「三障四魔(さんしょうしま)」といいます。 しかし大聖人様は断言されます。 「魔競はずは正法と知るべからず」(御書 998頁) つまり、障魔が起こるということは、 あなたの信心が正しい証拠なのです。 2. 三障とは ― 生命の三つの迷いの根 日蓮正宗の教義では、 「三障」とは自分の生命の中にある三種の煩悩の働きをいいます。 名称 意味 現れ方の例 煩悩障(ぼんのうしょう
2025年11月29日


🌸 唱題によって得られる五つの功徳
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 序:唱題は「生命の宝庫」を開く鍵 日蓮大聖人様は、 「南無妙法蓮華経は一切の功徳を具足す」(御書 832頁) と仰せです。 つまり、唱題とは単なる信仰行為ではなく、 すべての善根・福徳を生み出す生命の法則を起動することです。 ここでは、御書に説かれる功徳を現代的に整理し、 五つの視点から解説します。 第一の功徳 心の安穏(内なる平和) 「此の経を持つ人は、現世安穏・後生善処なるべし」(御書 340頁) 唱題の第一の功徳は、 心の中に「揺るがぬ安穏(あんのん)」が生まれることです。 私たちは日々、怒り・恐れ・不安などに心を乱されます。 しかし題目を唱えると、 心が仏法のリズムに調い、迷いが静まっていきます。 日蓮大聖人様は、 「南無妙法蓮華経は一切の病の良薬なり」(御書 1101頁) と仰せの通り、 心の病も、唱題によって少しずつ癒されていきます。 これは単
2025年11月25日


人生が変わる言葉「南無妙法蓮華経」の秘密を解説
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 1. 「南無妙法蓮華経」とは何か 「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」とは、 仏の悟りの生命そのものであり、 一切衆生が本来そなえている仏の境界(仏界)を呼び覚ます根本の題目です。 日蓮大聖人様は、 「南無妙法蓮華経は一切仏の成仏の眼目なり」(御書 832頁) と示され、 この題目こそが仏道修行の根本であり、 過去・現在・未来の三世にわたる救いの法であると断言されています。 2. 「南無」の意味 ― 帰依と決意 「南無」とはサンスクリット語の namas の音訳で、 「帰命」すなわち、自らの生命をささげて信ずる」 という意味です。 すなわち、 自分の迷いや煩悩に支配された心を仏法に帰し、 妙法に生きる決意をあらわします。 日蓮大聖人様はこう仰せです: 「南無とは、我身を法華経にまかせまいらせて候なり」(御書 1164頁) つまり、人生を変える第
2025年11月16日


「迷いの海を渡る法華経」「南無妙法蓮華経で人生を変える」
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 迷いの海を渡る法華経 ― 南無妙法蓮華経で人生を変える ― 人生は、思い通りにならない苦悩・迷い・不安の連続であり、仏法ではこれを「生死の大海(しょうじのたいかい)」と説きます。この迷いの海を渡り、真実の幸福と安穏を得る舟こそが、法華経(ほけきょう)であり、その根本の信仰が南無妙法蓮華経なのです。 一、迷いの根本は「無明(むみょう)」にあり 日蓮大聖人様は『開目抄』において次のように説かれています。 「生死の大海を渡るには妙法蓮華経を船とす。」 (『御書』561頁) この御文は、私たちが抱える迷いや苦悩(生死の海)を乗り越えるためには、法華経、すなわち妙法蓮華経の信仰こそが唯一の舟であると明示されています。 世の中の多くの人々は、名利・欲望・我執などの波に翻弄されて生きています。これが「無明の闇」です。 二、南無妙法蓮華経こそ人生を変える大法...
2025年11月10日


「菩提心(ぼだいしん)を起こし、保つ」
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 1. 「菩提心(ぼだいしん)」とは何か? 日蓮正宗の教えで言う「菩提心」とは、「仏になりたいという心」、 「真実の幸福を求める心」、 そして 「そのために仏法を実践しようという決意」 のことです。 仏道修行の始まりは、まずこの心を起こすところから始まります。 日蓮大聖人様は「これを起こさねば何事も始まらぬ」と教えられました。 たとえば、 「今度強盛(ごうじょう)の菩提心をおこして、退転せじと願じぬ」(開目抄) ──つまり、 「今こそ強い決意で仏の道を志し、どんなことがあってもあきらめないと誓った」 という意味です。 2. 菩提心を「起こすこと」は誰にでもできる 日蓮大聖人様はこうも仰せです。 「魚の子は多けれども魚となるは少なく、 菴羅樹(あんらじゅ)の花は多く咲けども実になるは少なし。 人もまたかくのごとし。 菩提心を発す人は多けれども、退せずして実の道
2025年10月31日


日常生活の心の乱れと日蓮大聖人様の教えによる心の平安
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 1. 日常生活における心の乱れ 私たちの日常には、さまざまな心の乱れが生じます。 人間関係:家族や職場での衝突・不信感 経済的不安:仕事、収入、将来への心配 健康問題:病気や老いへの恐れ 社会環境:災害・戦争・社会不安 自己への迷い:過去の後悔、将来の不安、劣等感 これらの悩みは表面的には違って見えますが、仏法ではすべて「無明」(仏法を知らぬ迷い)に根本原因があると説かれます。 2. 日蓮大聖人様の教えからの解決法 日蓮正宗では、心の乱れを克服し真の安穏を得る道は、日蓮大聖人様の出世の本懐である弘安2年10月12日御図顕の本門戒壇の大御本尊様に対する信心と唱題の実践にあると教えます。 苦悩を消そうとするのではなく、どのような苦境にあっても動じない境地を築くことが大切。 信心を根本に「心の財」を積むことで、外的条件に左右されない平安を得られる。 3. 御書の
2025年10月19日


「日蓮大聖人様の教え 貴方の可能性を引き出す南無妙法蓮華経」
第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 はじめに──「可能性」とは何か 日蓮正宗において、人間の「可能性」とは単なる能力の話ではなく、本来具わる仏性を顕し、成仏へ向かう生命のはたらきを意味します。 つまり、 「罪障を滅し、福徳を積み、本門戒壇の大御本尊様を根本とした信行によって、仏の生命を現実の中で発揮すること」 これが、日蓮正宗における「可能性を引き出す」ということの正しい意味です。 ①:弘安2年10月12日御図顕の本門戒壇の大御本尊様への信心・勤行唱題 「一切の経典は南無妙法蓮華経の五字にはすぎず。此の五字を持つ人は一切の仏・菩薩の功徳、自然に其の身にそなはるべし」 —『如説修行抄』(御書 673頁) 解説 日蓮大聖人様が出世の本懐として御図顕された「弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊様」を根本に信心を起こすことで、自己の生命に本来そなわる仏界を呼び起こすことができます。...
2025年10月11日


三世の因果 因果の理法からは誰人も逃れる事はできない その解決方法
およそ、世の中の物事で、原因なくして結果が生じたり、原因はあるのに結果が生じない、などということは何ひとつありません。 私達の人生における苦・楽や幸・不幸も、また偶然によるものではなく、何かしらの原因が招いた結果であるはずです。 仏法では、 私達の人生の幸・不幸が、三世(過去・現在・未来)にわたる因果の理法 によって定まっていることを解き明かしております。 たとえば、『心地観経』という教典には、 「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ」 とあります。 すなわち、自分自身の過去からの善悪さまざまな行いの集積が、宿業(善業と悪業)とになって生命に刻みつけられ、それが現在の人生に苦・楽や幸・不幸という果報をもたらしている。そして、また現在に作っている原因は、新たな宿業として生命に刻まれ、必ず将来にその果報が現れる、というのであります。 この因果の理からすれば、生まれついての病や貧富の差などは、今生に生を受ける以前、すなわち過去世において原因が作られており、また、今生で果報を受け終わらなかった宿業は、
2025年10月4日
bottom of page