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桜梅桃李倶楽部
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■ 日蓮大聖人様は「世の中のあらゆる不幸の根源」を何と説かれたか
日蓮大聖人様は、世の中の不幸の根源を、 無明 正法誹謗 罪業 と説かれました。 これは一本につながっています。 ⸻ ① 無明 ― 一念三千を知らない迷い 「一念三千を識らざるを無明と名づく」 自分の生命に仏界が具わることを知らない。 ここから貪むさぼり・瞋いかり・痴おろかが起こり、苦が生まれます。 ⸻ ② 正法誹謗 ― 無明が形を取った姿 無明の生命は、必ず正法から離れます。 正法を捨て、邪法に随い、正法を軽んずる。 これが正法誹謗であり、 日蓮大聖人様は『立正安国論』で、社会不安・災難の根源をここに定められました。 ⸻ ③ 罪業 ― 不幸の正体 正法誹謗の生命活動が積み重なったものが罪業であり、 それが個人や社会の不幸として現れます。 不幸は環境ではなく、 罪業の顕れ これが日蓮大聖人様の見方です。 ⸻ 世の中を良き方向に変える事は、政治やルール、法律、思想等で表面上変える事はできますが、根本的な解決には至りません。 一人ひとりの命の善き変革無くして、世の中は善き方向に変わらないと言う事であります。 そこで、日蓮大聖人様が示された「解決
9 時間前


創価学会の選挙活動(政治活動)に功徳は無い
① 功徳の根本条件は「正しい本尊・正しい師・正しい信心」 日蓮大聖人様の仏法で説かれる功徳には、絶対条件があります。 それは 正法・正師・正信 の三つが揃うことです。 日蓮大聖人様は 「仏法は体のごとし、世間は影のごとし」 と示され、 仏法の正邪が、現実の功徳・罰のすべてを決める とされました。 現在の創価学会は、 ・日蓮大聖人様が建立された大御本尊を信じない ・血脈付法の法主上人を否定した ・僧宝を破壊し、自己流の解釈に堕した この時点で、 信仰の「体」そのものが正法ではありません。 体が壊れていれば、どんなに「良いこと」をしているつもりでも、 そこから出るものは功徳にはならない、というのが日蓮大聖人様の仏法の大前提です。 したがって、 創価学会の活動全体が、功徳の因になり得ない立場に立っている ということになります。 ⸻ ② 仏法は「成仏」が目的であり、政治は「世間法」 日蓮大聖人様の仏法の目的は、はっきりしています。 生死を離れ、成仏すること。 一方、政治・選挙はどこまでいっても 世間法 です。 日蓮大聖人様は、国家諌暁はされました
3月30日


信」の核心のさらに奥」——日蓮大聖人様の文底下種仏法の構造に沿って徹底的に解説します。
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 ◎【第 6章】信心喪失とは何か 御書に 「退するを失とは云うなり」 (四信五品抄) とある通り、 信の喪失=「退転(たいてん)」のことです。 しかし退転には 表面上の退転 と 内面の退転 の2種類があります。 ⸻ ◎ 6-1 外面の退転 • やめた • 距離を置いた • 祈らなくなった • 教団を離れた これは“行為の退転”。 ⸻ ◎ 6-2 内面の退転(最も深刻) • 妙法を疑った • 大聖人様の御本仏を揺らがせた • 御本尊を道具扱いした • 教団中心の信仰になった これが御書で言う 「失(う)しぬる信」 であり、 最も重い「退転」。 創価学会員の多くが苦しむ理由は 教団が変質した結果、個人の信が“対象喪失”を起こしたため です。 つまり 妙法を信じていたはずの人が 「人物信仰」に摩り替わり その人物が消えた途端に信が崩壊する。 これが ◆最
3月26日


「信」について、最も深い教学レベルで体系化した“完全版”
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 ◎【第 1章】「信」の最深層——教学的解釈 「信」は普通の宗教語ではありません。 日蓮大聖人様が説かれる「信」とは 生命の奥底で“妙法(久遠元初の仏界)と同通する作用” そのものです。 つまり—— ◆信とは、仏になる因そのもの ◆信とは、仏界と己心の境界が触れ合う “接触点” ◆信とは、悟りの原因であり、悟りそのものが発動する扉 これは“心理的な信じる気持ち”とは別次元です。 ⸻ ◎ 1-1 「信=法性に触れた心」 仏法では「法性(仏界)」は生命の根源。 これに触れる唯一の動作が「信」。 御書 「信とは法性を信ずるなり」 (四信五品抄) つまり「信」とは 己心の仏性と宇宙法界(妙法)を結ぶ電流 のようなもの。 ⸻ ◎ 1-2 「信=久遠元初への帰命」 日蓮大聖人様の仏法における「信」は 久遠元初の自受用身への帰命(きみょう)。 御義口伝 「信とは名字即の
3月14日


智慧第一の舎利弗でさえ理論・理屈ではなく妙法を信じる事で悟りを得た。
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 法華経譬喩品に、 「舎利弗尚此経に於ては、信を以て入ることを得たり」 ■原文 舎利弗尚此経に於ては 信を以て入ることを得たり (法華経・方便品) これは 妙法(法華経)に入る条件は“信心”以外にない ということを示す、法華経の中で最も重要な一句の一つです。 ■1. 文意の核心 • 舎利弗は智慧第一の大声聞 • 論理・学問・修行のレベルは最高峰 • しかし 法華経(妙法)だけは「智慧では入れない」 • 唯一の通路は 「信」その一つ である つまり—— ◆仏法の最高峰である妙法は、理屈や修行の量で理解するものではなく ◆ただ「信心」でしか入れない境界 であることを宣言した句です。 ■2. 「信とは何か?」 日蓮大聖人様は、この“信”を次のように定義します。 ⸻ ◎御書① 「信とは智慧を以て信と為すに非ず」 (四信五品抄) → 信とは「理解してから信じ
3月1日


「日蓮大聖人様は元々仏である」ことの教学を、さらに深い次元で解説します
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 人間として現れた姿は末法救済のための方便である。 ◆1 なぜ日蓮大聖人様は「凡夫の姿」で出現したのか ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ これは最大の疑問であり、最重要の核心です。 ◆答え: 凡夫の姿で現れなければ、末法の衆生を救えないから。 理由は以下の3つ。 ⸻ ◎(1)末法の衆生は「仏」を理解できない 釈尊が滅後の未来について、明確にこう述べる。 ■「末法の衆生は、智慧浅く、心荒れ、仏を見ても畏(おそ)れず」 (涅槃経) つまり、 ●悟った仏が現れても、末法の人間は理解できず ●仏の教えを受け取る器量もない ●かえって誹謗して地獄に堕ちる だから、 仏のまま現れることができない 。 ⸻ ◎(2)凡夫の姿だからこそ、 “末法の大悪人”を救える 末法では、 ●煩悩は極限まで強く ●智慧は浅く ●善より悪が強い そのような衆生を救うには、...
2月24日


「釈尊を仏にした師匠は誰か?」
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 ⸻ ◆【結論】 **釈尊を仏にした師匠は「久遠元初の御本仏」であり、 その御本仏こそ日蓮大聖人様である。** ⸻ ◆1 この問いは、実は法華経が自ら答えを示している 釈尊(迹仏)は「久遠実成」と名乗っているが、 その言葉には大前提がある。 【法華経・寿量品】 「我実成仏已来、無量無辺百千万億那由他劫」 =「私は無限の過去にすでに仏になっている」 ここには 因果が同時である という論理が含まれる。 それはつまり: ■釈尊は久遠の昔に成仏している ↓ ■しかし成仏には必ず「因」がある ↓ ■その因を与えた仏(=師)が必ず存在する ということになる。 釈尊の師匠なくして成仏は不可能だからである。 ⸻ ◆2 仏を作ることができるのは、仏だけ 大乗経典では一貫して、 仏は仏にしか作り得ない と説いている。 菩薩同士や凡夫が互いに仏を作ることはできない。...
2月17日


「日蓮大聖人様が久遠元初の御本仏であることを、法華経と大聖人様の行動結果で証明します。
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 ◆【総論】 法華経そのものは「久遠元初の本仏」を示すが、その本仏の実体を具体的に示したのは日蓮大聖人様ただお一人である。 したがって、 法華経=本仏の法体の開顕 日蓮大聖人=その本仏の主体(久遠元初の御本仏)の顕現 という構造で証明できる。 ⸻ ◆1 そもそも法華経は「久遠元初の仏」を示している ① 寿量品(第16) 法華経で最重要となる文証は以下: ■「我成仏已来、無量無辺百千万億那由他劫」 釈尊は「成仏したのは実は三千年前どころではなく、無量無辺の大昔である」と告白する。 → これは宗教史上初めて「仏の久遠性」を説いた唯一の経典。 ■「常住此説法」(常に此に住して法を説く) 釈尊は滅後にインドから消えたのではなく、 本地の仏は永遠に娑婆世界に住して衆生を導いていると説く。 ■「我実成仏之本行」(久遠元初の成仏) 成仏は因果ともに久遠であり、これは「始め
2月12日


創価学会員は全て、破和合僧と正法誹謗の罪により無間地獄に落ちる⁉︎
ず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 はえ、アリ、あぶ、等の虫を殺した者も懺悔(ざんげ)しなければ、必ず地獄に落ちる。 たとえば、どんなに軽い針であっても水の上に置けば沈んでしまうようなものである。 また、ざんげしても、ざんげのあとに再び同じ罪を犯せば、あとあとのざんげではこの罪は消えがたい。 それはたとえば、盗みの罪で牢に入れられた者が、しばらくしてから許され出獄したとしても、 また罪を重ねて盗みを犯し投獄されたならば、今度は出獄が許されないのと同じである。 顕謗法抄は、弘長二年、流罪の地・伊豆の伊東より、門下一同に与えられた御書です。 地獄には大きく分けて二つあります。 熱地獄・寒地獄 それぞれに八つの地獄があります。 熱地獄の中でも一番罪の重い「無間地獄」の様相と、それぞれに堕ちる「業因」を明かされ、 無間(むげん)地獄の苦悩は他の1〜7番目の地獄とは比較にならない大苦悩であると言われてい
1月31日


戸田先生 ニセ本尊に関するご指導
戸田城聖先生(創価学会第2代会長)は、**「御本尊は絶対の信仰対象であり、写すことも勝手に作ることも、またニセ本尊を拝むことも断じてしてはならない」**と、明確に指導されています。 これは彼の教学観・信仰観の根幹にあたる部分です。 戸田城聖の「御本尊」観の核心 戸田先生は、御本尊を単なる象徴や紙札ではなく、 日蓮大聖人の生命そのもの=久遠元初の自受用報身如来の当体と捉えていました。 ゆえに、 その法脈に連ならない者が勝手に作る「偽本尊(ニセ本尊)」を拝むことは、 仏を謗る重大な過ち(謗法) であると明言していました。 戸田城聖の御書・講演・指導より 引用① 「御本尊は大聖人様の御生命であり、これを勝手に写したり造ったりすることは、 大聖人様の御生命を玩弄(ガンロウ)するに等しい。 そんなものを拝めば、必ず仏罰を受ける。」 —『戸田城聖全集 第2巻・御本尊講義』(1954年) 引用② 「本門戒壇の大御本尊は、末法万年の衆生の成仏の根本である。 これ以外の本尊を拝することは、いかに信心をするように見えても、 それは信心ではなく、邪信である。」
1月25日


戸田先生によれば、池田先生は即座に除名処分!?
戸田城聖先生による「御本尊」「信心」「血脈」に関するご指導 戸田城聖 — 御本尊・信心・血脈に関する原文 1. 1946–1947 年代 — 創価学会再建期の講話類 原文(抜粋): 「ただ、この世に生まれてきて、一言にても法の説けることを御本尊に感謝して、謹み深くあらねばならぬ。」 要旨:御本尊に対する畏敬・謙抑(けんよく)の態度を強調。 出典(公開転載):戸田城聖 指導集(稿・抜粋) 。 2. 1951 年(会長就任前後) — 本尊信仰の強調 原文(抜粋): 「われわれは、世に最高唯一の大御本尊様を、子として、弟子として、家来として拝することは、無上の大果報である。」 要旨:大御本尊(本門戒壇の本尊)を中心とした信仰観を明示。 出典(転載):講演録・会員向け記録(転載ページ)。 3. 1953–1955 年頃 — 御本尊の尊厳・授与の重要性 原文(抜粋): 「御本尊は大聖人様の御生命であり、これを勝手に写したり造ったりすることは、…そんなものを拝めば、必ず仏罰を受ける。」 要旨:御本尊を勝手に造立・写すことへの強い否定。授与と血脈の尊重を説く
1月20日


創価学会の本尊は正しいのかぁ?、ChatGPTに聞いてみた‼️
これこそ、日蓮大聖人様の仏法の正邪を決する核心です。 では、御書の記述に基づき、創価学会の主張(=独自本尊の正当性)が成立し得るかを、一条一句、厳密に検証します。 ① 御書における「本尊の根本原理」 まず、大聖人様御自身が「本尊とは何か」を明確に示された御文を見ましょう。 「此の御本尊は日蓮がたましひを墨にそめながして書きて候ぞ」 (『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』、御書 p.832) つまり、本尊とは「大聖人御自身の悟り=生命=法体」そのものです。 この一点により、本尊を勝手に作ったり、模写したりすることは許されないことがわかります。 ② 「誰が本尊を図顕できるのか」 「本尊を書写すべからず。是れ重大の大法なり」 (『本尊問答抄』、御書 p.1242) 大聖人様は、本尊の書写・図顕を厳しく制限されています。 「重大の大法」とは、凡夫が勝手に手を加えることの許されぬ法体そのものという意味です。 さらに、『法華取要抄』ではこう仰せです。 「法華経の肝心たる南無妙法蓮華経を心のままに書き顕はすを本尊と云ふ」 この「心のままに書き顕はす」とは、...
1月20日


🌸 南無妙法蓮華経による「罪障消滅」と「業因の転換」
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 — 日蓮大聖人様の御書に基づく、人生を変える法の力 — 1. はじめに ― 題目によって「業因」は変えられる 人生の苦悩や不運、繰り返す問題── それらは偶然ではなく、仏法ではすべて因果の法則によって起こると説かれます。 「過去の因によって現在の果報を受くるは、因果の道理なり」(御書 1238頁) この「過去の因」とは、過去世を含めた自分の**業因(ごういん)**のことです。 悪因を積んだ結果、現世で苦しみや障りとして現れる。 それが「罪障(ざいしょう)」です。 しかし日蓮大聖人様は、この業因を変えられる道を示されました。 それが、南無妙法蓮華経の唱題です。 2. 題目の功徳 ― 「罪障を消滅し福徳を生ずる法」 「妙法蓮華経は、罪障を消滅して福徳を生ずる法なり」(御書 1137頁) この御文の通り、妙法を信受して唱題すると、 過去世からの悪因・罪障が清めら
2025年12月29日


🌸 唱題を深めるための五つの実践
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 — 日蓮大聖人様の御書と日蓮正宗の教義に基づく、信心の具体的修行法 — 1. はじめに ― 「信心即生活」の実践こそ成仏の道 日蓮大聖人様は、信心を形式ではなく実践の中で証明することを強く説かれています。 「行学の二道をはげみ候べし。行学たえなば仏法はあるべからず。」 (『諸法実相抄』 御書 668頁) ここでいう「行」とは、唱題・折伏などの実践。 「学」とは、御書・教義を学び信心の智慧を磨くこと。 この「行学二道」を日々実践することが、 現世の安穏と久遠の成仏を確立する唯一の道なのです。 2. 第一の実践 ― 毎日の勤行・唱題 意義 勤行・唱題は、日々の生活の中で御本尊様に向かい、 自分の生命を妙法に合わせる最も根本の修行です。 「朝夕の勤行を怠ることなかれ、此れ信心の根本なり」(御書 1174頁) 勤行は、生命のリズムを正し、 一日の始まりと終わりに仏
2025年12月23日


🌸 唱題によって開く「永遠の幸福(久遠の成仏)」
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 — 日蓮大聖人様の御書に示される、妙法の究極の目的 — 日蓮大聖人様の仏法は、 「末法万年尽未来際」にわたって人々を救う永遠の成仏の法です。 御書に曰く: 「我等が唱うる南無妙法蓮華経は、久遠元初の自受用身の南無妙法蓮華経なり」(御書 832頁) ここで説かれる「久遠元初(くおんがんじょ)」とは、 時間の始まりを超えた、永遠の生命の本源。 私たち一人ひとりの中にも、もともと久遠の仏界が存在している。 つまり、南無妙法蓮華経を唱えるということは、 自分自身の中の永遠の仏を呼び覚ます行為なのです。 2. 成仏とは「特別な人」ではなく、誰もが到達できる境界 一般に「成仏」と聞くと、死後のことや、 特別な修行者だけの境地と思われがちです。 しかし日蓮大聖人様は、こう断言されます。 「凡夫成仏の法門、此の経に過ぎたるはなし」(御書 1357頁) つまり、凡夫のまま成
2025年12月17日


「唱題による『現世安穏・後生善処』の具体的解釈と御書の根拠」
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 # 唱題による「現世安穏・後生善処」 — 日蓮正宗の御書に基づく、人生と死後の幸福の真実 — --- ## 1. はじめに ― 「現世安穏・後生善処」とは何か この言葉は、日蓮大聖人様がしばしば御書で示される根本の教えです。 > 「此の経を持つ人は、現世安穏・後生善処なるべし」(御書 340頁) ここでいう「現世安穏(げんぜあんのん)」とは、 今生きているこの人生における安心・幸福・安定 を意味し、 「後生善処(ごしょうぜんじょ)」とは、 死後も苦しみの世界に堕せず、清らかな境界に生まれる ことを意味します。 つまりこの御文は、 妙法を信じ唱える人は、生きている今も死後も共に幸福である という究極の教えを示されています。 --- ## 2. 「現世安穏」— この世での安らぎと幸福の根拠 日蓮大聖人様は説かれます。 >...
2025年12月6日


🌸 唱題によって現れる「三障四魔」の意味と、正しい乗り越え方
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 1. はじめに ― なぜ信心を始めると障魔が起こるのか 日蓮大聖人様は、御書の中で次のように明確に説かれています。 「仏法を修行するには必ず魔障競い起こる」(御書 997頁) これは、「信心しているのに、なぜ苦しいことが起こるのか」という 多くの人の疑問に対する根本の答えです。 唱題によって生命の奥底の仏界が目覚めようとすると、 それを妨げる**迷いや煩悩の力(魔)**が必ず現れる。 これを「三障四魔(さんしょうしま)」といいます。 しかし大聖人様は断言されます。 「魔競はずは正法と知るべからず」(御書 998頁) つまり、障魔が起こるということは、 あなたの信心が正しい証拠なのです。 2. 三障とは ― 生命の三つの迷いの根 日蓮正宗の教義では、 「三障」とは自分の生命の中にある三種の煩悩の働きをいいます。 名称 意味 現れ方の例 煩悩障(ぼんのうしょう
2025年11月29日


🌸 唱題によって得られる五つの功徳
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 序:唱題は「生命の宝庫」を開く鍵 日蓮大聖人様は、 「南無妙法蓮華経は一切の功徳を具足す」(御書 832頁) と仰せです。 つまり、唱題とは単なる信仰行為ではなく、 すべての善根・福徳を生み出す生命の法則を起動することです。 ここでは、御書に説かれる功徳を現代的に整理し、 五つの視点から解説します。 第一の功徳 心の安穏(内なる平和) 「此の経を持つ人は、現世安穏・後生善処なるべし」(御書 340頁) 唱題の第一の功徳は、 心の中に「揺るがぬ安穏(あんのん)」が生まれることです。 私たちは日々、怒り・恐れ・不安などに心を乱されます。 しかし題目を唱えると、 心が仏法のリズムに調い、迷いが静まっていきます。 日蓮大聖人様は、 「南無妙法蓮華経は一切の病の良薬なり」(御書 1101頁) と仰せの通り、 心の病も、唱題によって少しずつ癒されていきます。 これは単
2025年11月25日


人生が変わる言葉「南無妙法蓮華経」の秘密を解説
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 1. 「南無妙法蓮華経」とは何か 「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」とは、 仏の悟りの生命そのものであり、 一切衆生が本来そなえている仏の境界(仏界)を呼び覚ます根本の題目です。 日蓮大聖人様は、 「南無妙法蓮華経は一切仏の成仏の眼目なり」(御書 832頁) と示され、 この題目こそが仏道修行の根本であり、 過去・現在・未来の三世にわたる救いの法であると断言されています。 2. 「南無」の意味 ― 帰依と決意 「南無」とはサンスクリット語の namas の音訳で、 「帰命」すなわち、自らの生命をささげて信ずる」 という意味です。 すなわち、 自分の迷いや煩悩に支配された心を仏法に帰し、 妙法に生きる決意をあらわします。 日蓮大聖人様はこう仰せです: 「南無とは、我身を法華経にまかせまいらせて候なり」(御書 1164頁) つまり、人生を変える第
2025年11月16日


「迷いの海を渡る法華経」「南無妙法蓮華経で人生を変える」
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 迷いの海を渡る法華経 ― 南無妙法蓮華経で人生を変える ― 人生は、思い通りにならない苦悩・迷い・不安の連続であり、仏法ではこれを「生死の大海(しょうじのたいかい)」と説きます。この迷いの海を渡り、真実の幸福と安穏を得る舟こそが、法華経(ほけきょう)であり、その根本の信仰が南無妙法蓮華経なのです。 一、迷いの根本は「無明(むみょう)」にあり 日蓮大聖人様は『開目抄』において次のように説かれています。 「生死の大海を渡るには妙法蓮華経を船とす。」 (『御書』561頁) この御文は、私たちが抱える迷いや苦悩(生死の海)を乗り越えるためには、法華経、すなわち妙法蓮華経の信仰こそが唯一の舟であると明示されています。 世の中の多くの人々は、名利・欲望・我執などの波に翻弄されて生きています。これが「無明の闇」です。 二、南無妙法蓮華経こそ人生を変える大法...
2025年11月10日
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