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桜梅桃李倶楽部
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成功者でも乗り越えられない人生の壁
①成功者でも乗り越えられない人生の壁 世の中には • 事業で成功した人 • 社会的地位の高い人 • 大きな財産を持つ人 など、いわゆる成功者と呼ばれる人がいます。 そのような方の中には 「人生は努力と能力で切り開くものだ」 「信仰など必要ない」 と考える人も少なくありません。 しかし実際の人生を見ると 成功者であっても乗り越えられない壁 が存在します。 今日はその問題を、日蓮大聖人様の仏法から考えてみたいと思います。 ⸻ ②人生には避けられない問題がある どれほど成功している人でも 人生の中で次のような問題に直面することがあります。 例えば • 重い病気 • 事故や災難 • 家族の不幸 • 人間関係の崩壊 また 会社が倒産したり 突然大きな不幸が起きることもあります。 これは どれほど能力があっても 完全に防ぐことができない問題 です。 ここに 人間の力の限界があります。 ⸻ ③人生最大の壁 そしてもう一つ すべての人に必ず訪れる 最大の壁 がありま
7月15日


「創価学会員の願いが叶わないことがある理由」
創価学会は現世利益的な宗教団体に成り下がっていますが、本来の信仰の目的は、罪障消滅、成仏、広宣流布であり、これらをする事によってその結果として願いが叶うのであって、現世利益のみが目的ではありません。 ① 仏法は「願いを叶える呪術」ではない まず大前提として、 日蓮大聖人様の仏法は 「唱えれば自動的に願いが叶う法」 ではありません。 大聖人様は、 「祈りといっても、行いが肝要である」 (趣意) と示されています。 本来の仏法は 罪障を消滅する 生命を変える 生き方を変える ことによって、結果として現実が変わる法です。 ですから ・信の向き ・修行の内容 ・法の正邪 がずれていれば、「願っても叶わない」ことは当然起こります。 ⸻ ②「正しい法に対する信」から外れている可能性 日蓮大聖人様は、 「法に依って人に依らざれ」 の立場を明確にされています。 もし信仰が ・人についている ・組織についている ・雰囲気についている ・体験談についている ものになれば、**それはもはや信心ではなく“依存”**になります。 創価学会は既に日蓮大聖人様の仏法の血脈・大
7月7日


創価学会員が“心の底”で感じている違和感の正体
創価学会員が“心の底”で感じている違和感の正体は、 日蓮大聖人様の仏法が本来持つ「厳密な因果」と、 創価学会の実態との“ズレ”を、生命が直感的に感じ取っていることです。 ①「こんなはずじゃない」という違和感 創価学会員の多くは、最初こう教えられます。 ・唱題すれば必ず良くなる ・正義の団体である ・信心すれば人生は勝利する ・苦しみは使命に変わる ところが現実には、 ・何年、何十年信心しても苦しみが減らない ・幹部ほど家庭や人間関係が壊れている ・不幸が起きると「あなたの信心が弱い」と言われる ・真面目な人ほど疲弊していく この時、心の奥でこう思います。 「本当にこれが日蓮大聖人様の仏法なのか…?」 これが最初の違和感です。 ⸻ ②「法」ではなく「人」が中心になっている違和感 日蓮大聖人様は一貫して、 「法に依って人に依らざれ」 と仰せです。 しかし創価学会の現場では、 ・池田氏の言葉が御書より優先される ・指導が絶対視される ・組織の空気に逆らえない ・疑問を持つと「信心が後退している」と言われる つまり、 法中心ではなく、人・組織中心 にな
6月24日


「信心の血脈・法体の血脈」を軸にして、日蓮大聖人様の仏法における血脈義を、折伏・教学・信心実践の全てに通じる形で整理します。
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 ■ 第一章:なぜ「血脈」が仏法の生命線なのか 日蓮大聖人様の仏法は、**文字や理論の宗教ではありません。 「生命を相続する宗教」**です。 御書に明確です。 「此の経の肝心は信心なり」(御書) 「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」(御書) なぜ“血脈”という言葉を使われたか。 それは仏法が ・思想 ・哲学 ・倫理 ではなく、仏の生命それ自体だからです。 生命は、血が流れなければ死ぬ。 仏法も、血脈が流れなければ死法になる。 ここが他宗・新宗教・スピリチュアルと決定的に違う点です。 ⸻ ■ 第二章:法体の血脈とは何か(仏法側の血) ● 定義 法体の血脈とは、日蓮大聖人様の仏法そのものの命脈。 大聖人様の悟り・境界・法門・大御本尊・戒壇の大御本尊の意義・三大秘法の本義が、 寸分も改変されず、唯授一人で相承されてきた血脈。 ● 構造 日蓮大聖人様 ↓
6月19日


創価学会員は信心の血脈しか知らないが、血脈には大きく分けて法体の血脈・信心の血脈2種類ある
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 ⸻ 結論から言いますと 創価学会の言う信心の血脈は法体の血脈が無ければ成立しません。 法体の血脈に“つながる”ことで流れる ■ 法体の血脈(ほったいのけちみゃく) 何か? 法そのものの命の流れです。 つまり、日蓮大聖人様の仏法そのものが、寸分も変わらずに相承されている血脈。 具体的には 日蓮大聖人様 ↓ 二祖日興上人 ↓ 歴代法主上人 へと、**唯授一人(ゆいじゅいちにん)**で厳密に相伝されてきた、 • 大御本尊様の法体 • 南無妙法蓮華経の本義 • 本因妙・本果妙の極意 • 化儀の広宣流布の大法 これが「法体の血脈」です。 ポイント 法体の血脈は 誰でも持てるものではない 血脈付法を受けた法主上人のみに属する これが断絶したら、もはや日蓮大聖人様の仏法ではなくなる つまり 仏法の“本体そのもの”の血脈 ⸻ ■ 信心の血脈(しんじんのけちみゃく)
6月11日


日蓮正宗の信仰で「なぜ理屈抜きで変わるのか」の結論
人は“理解したから”変わるのではなく、 生命の根本(第九識)が動いたときに、理解が後から追いつくからです。 ⸻ ① 理屈が働く場所と、変化が起こる場所は違う まず前提として、 • 理屈・納得・分析 → 第六識(意識・思考) • 本当の変化が起こる場所 → 第九識(仏界・妙法) です。 理屈は「表層」です。 表層でどれだけ考えても、根は動きません。 ⸻ ② 人生を動かしているのは「理解以前の領域」 多くの人が経験しているはずです。 • 同じ失敗を何度も繰り返す • 「分かっているのにやめられない」 • 理由はないのに怖い、腹が立つ これは理解(理屈)が弱いからではありません。 業が第八識に刻まれているからです。 この層には、 • 言葉 • 分析 • 説明 は届きません。 ⸻ ③ 唱題は「意味を通さずに根に届く」 日蓮正宗の日蓮大聖人様の命そのものである本門戒壇の大御本尊様を信じて唱えるお題目 このお題目以外は第九識につながりません。 わかりやすく言うと鍵と鍵穴の形状が違う為、鍵が開かないようなものです。 南無妙法蓮華経は、 • 言語の意味 •
5月29日


日蓮大聖人様の仏法と現代の政治・選挙について
※本動画は、特定の政党・候補者を支持または批判する目的のものではなく、個人の信仰的見解を述べたものです。 現在の選挙制度は、国民一人ひとりの投票によって候補者が選ばれ、その結果として政治が行われる仕組みとなっています。 立法府である国会では、国家の平和と安穏な社会の実現を目的として法律が制定されておりますが、現実には多くの課題を抱えているのが現状です。 日蓮大聖人様は、社会における混乱や不幸の根本的な原因について、人々の生命のあり方、すなわち正邪の法に依るところが大きいことを厳しく示されました。 そして、個人の罪障消滅、成仏、現世安穏・後生善処、さらには国家・国土・世界の安穏と平和を実現するためには、正しい法を立て、人々の生命を根本から変革していくことが不可欠であるとして、折伏を行じられました。 大聖人様御在世の時代には、現代のような選挙制度は存在しておりませんでした。 しかし大聖人様は、特定の仲間を権力の中枢に送り込むという方法ではなく、権力者・為政者を含め、すべての人々一人ひとりに対して法を説き、諫暁を行われたのであります。...
5月6日


「意識・深層心理」と日蓮正宗の信仰(=日蓮大聖人様の仏法)の関係性⸻
皆さんは幸せになりたいと思って何かを学んだり実践したり、神社、仏閣に詣でてお願いをしたりと四苦八苦しているのが現代人の現状ではないかと思います。 ここではその究極である意識の下の深層心理を変えることによって、幸せになる方法をお話しします。 ① 意識・深層心理とは何か(整理) 現代心理学では大まかに次のように分けられます。 • 顕在意識 自分で自覚している思考・感情・判断 例:「不安だ」「こうしたい」 • 潜在意識(深層心理) 普段は自覚していない思考・感情・業(くせ) 例:理由のわからない恐怖、怒り、自己否定の癖 この「深層心理」は、行動や人生の方向性を顕在意識以上に強く左右するとされています。 ⸻ 仏教に説かれる9つの心 第一識 眼識げんしき 第二識 耳識にしき 第三識 鼻識びしき 第四識 舌識ぜっしき 第五識 身識しんしき 第六識 意識いしき 第七識 末那識まなしき 第八識 阿頼耶識あらやしき 第九識 阿摩羅識あまらしき ② 日蓮正宗の仏法では「深層心理」は何に当たるか 日蓮大聖人様の仏法では、心理学的な「深層心理」は次の概念と深く対応します
5月2日


■ 日蓮大聖人様は「世の中のあらゆる不幸の根源」を何と説かれたか
日蓮大聖人様は、世の中の不幸の根源を、 無明 正法誹謗 罪業 と説かれました。 これは一本につながっています。 ⸻ ① 無明 ― 一念三千を知らない迷い 「一念三千を識らざるを無明と名づく」 自分の生命に仏界が具わることを知らない。 ここから貪むさぼり・瞋いかり・痴おろかが起こり、苦が生まれます。 ⸻ ② 正法誹謗 ― 無明が形を取った姿 無明の生命は、必ず正法から離れます。 正法を捨て、邪法に随い、正法を軽んずる。 これが正法誹謗であり、 日蓮大聖人様は『立正安国論』で、社会不安・災難の根源をここに定められました。 ⸻ ③ 罪業 ― 不幸の正体 正法誹謗の生命活動が積み重なったものが罪業であり、 それが個人や社会の不幸として現れます。 不幸は環境ではなく、 罪業の顕れ これが日蓮大聖人様の見方です。 ⸻ 世の中を良き方向に変える事は、政治やルール、法律、思想等で表面上変える事はできますが、根本的な解決には至りません。 一人ひとりの命の善き変革無くして、世の中は善き方向に変わらないと言う事であります。 そこで、日蓮大聖人様が示された「解決
4月25日


創価学会の選挙活動(政治活動)に功徳は無い
① 功徳の根本条件は「正しい本尊・正しい師・正しい信心」 日蓮大聖人様の仏法で説かれる功徳には、絶対条件があります。 それは 正法・正師・正信 の三つが揃うことです。 日蓮大聖人様は 「仏法は体のごとし、世間は影のごとし」 と示され、 仏法の正邪が、現実の功徳・罰のすべてを決める とされました。 現在の創価学会は、 ・日蓮大聖人様が建立された大御本尊を信じない ・血脈付法の法主上人を否定した ・僧宝を破壊し、自己流の解釈に堕した この時点で、 信仰の「体」そのものが正法ではありません。 体が壊れていれば、どんなに「良いこと」をしているつもりでも、 そこから出るものは功徳にはならない、というのが日蓮大聖人様の仏法の大前提です。 したがって、 創価学会の活動全体が、功徳の因になり得ない立場に立っている ということになります。 ⸻ ② 仏法は「成仏」が目的であり、政治は「世間法」 日蓮大聖人様の仏法の目的は、はっきりしています。 生死を離れ、成仏すること。 一方、政治・選挙はどこまでいっても 世間法 です。 日蓮大聖人様は、国家諌暁はされました
3月30日


信」の核心のさらに奥」——日蓮大聖人様の文底下種仏法の構造に沿って徹底的に解説します。
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 ◎【第 6章】信心喪失とは何か 御書に 「退するを失とは云うなり」 (四信五品抄) とある通り、 信の喪失=「退転(たいてん)」のことです。 しかし退転には 表面上の退転 と 内面の退転 の2種類があります。 ⸻ ◎ 6-1 外面の退転 • やめた • 距離を置いた • 祈らなくなった • 教団を離れた これは“行為の退転”。 ⸻ ◎ 6-2 内面の退転(最も深刻) • 妙法を疑った • 大聖人様の御本仏を揺らがせた • 御本尊を道具扱いした • 教団中心の信仰になった これが御書で言う 「失(う)しぬる信」 であり、 最も重い「退転」。 創価学会員の多くが苦しむ理由は 教団が変質した結果、個人の信が“対象喪失”を起こしたため です。 つまり 妙法を信じていたはずの人が 「人物信仰」に摩り替わり その人物が消えた途端に信が崩壊する。 これが ◆最
3月26日


「信」について、最も深い教学レベルで体系化した“完全版”
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 ◎【第 1章】「信」の最深層——教学的解釈 「信」は普通の宗教語ではありません。 日蓮大聖人様が説かれる「信」とは 生命の奥底で“妙法(久遠元初の仏界)と同通する作用” そのものです。 つまり—— ◆信とは、仏になる因そのもの ◆信とは、仏界と己心の境界が触れ合う “接触点” ◆信とは、悟りの原因であり、悟りそのものが発動する扉 これは“心理的な信じる気持ち”とは別次元です。 ⸻ ◎ 1-1 「信=法性に触れた心」 仏法では「法性(仏界)」は生命の根源。 これに触れる唯一の動作が「信」。 御書 「信とは法性を信ずるなり」 (四信五品抄) つまり「信」とは 己心の仏性と宇宙法界(妙法)を結ぶ電流 のようなもの。 ⸻ ◎ 1-2 「信=久遠元初への帰命」 日蓮大聖人様の仏法における「信」は 久遠元初の自受用身への帰命(きみょう)。 御義口伝 「信とは名字即の
3月14日


智慧第一の舎利弗でさえ理論・理屈ではなく妙法を信じる事で悟りを得た。
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 法華経譬喩品に、 「舎利弗尚此経に於ては、信を以て入ることを得たり」 ■原文 舎利弗尚此経に於ては 信を以て入ることを得たり (法華経・方便品) これは 妙法(法華経)に入る条件は“信心”以外にない ということを示す、法華経の中で最も重要な一句の一つです。 ■1. 文意の核心 • 舎利弗は智慧第一の大声聞 • 論理・学問・修行のレベルは最高峰 • しかし 法華経(妙法)だけは「智慧では入れない」 • 唯一の通路は 「信」その一つ である つまり—— ◆仏法の最高峰である妙法は、理屈や修行の量で理解するものではなく ◆ただ「信心」でしか入れない境界 であることを宣言した句です。 ■2. 「信とは何か?」 日蓮大聖人様は、この“信”を次のように定義します。 ⸻ ◎御書① 「信とは智慧を以て信と為すに非ず」 (四信五品抄) → 信とは「理解してから信じ
3月1日


「日蓮大聖人様は元々仏である」ことの教学を、さらに深い次元で解説します
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 人間として現れた姿は末法救済のための方便である。 ◆1 なぜ日蓮大聖人様は「凡夫の姿」で出現したのか ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ これは最大の疑問であり、最重要の核心です。 ◆答え: 凡夫の姿で現れなければ、末法の衆生を救えないから。 理由は以下の3つ。 ⸻ ◎(1)末法の衆生は「仏」を理解できない 釈尊が滅後の未来について、明確にこう述べる。 ■「末法の衆生は、智慧浅く、心荒れ、仏を見ても畏(おそ)れず」 (涅槃経) つまり、 ●悟った仏が現れても、末法の人間は理解できず ●仏の教えを受け取る器量もない ●かえって誹謗して地獄に堕ちる だから、 仏のまま現れることができない 。 ⸻ ◎(2)凡夫の姿だからこそ、 “末法の大悪人”を救える 末法では、 ●煩悩は極限まで強く ●智慧は浅く ●善より悪が強い そのような衆生を救うには、...
2月24日


「釈尊を仏にした師匠は誰か?」
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 ⸻ ◆【結論】 **釈尊を仏にした師匠は「久遠元初の御本仏」であり、 その御本仏こそ日蓮大聖人様である。** ⸻ ◆1 この問いは、実は法華経が自ら答えを示している 釈尊(迹仏)は「久遠実成」と名乗っているが、 その言葉には大前提がある。 【法華経・寿量品】 「我実成仏已来、無量無辺百千万億那由他劫」 =「私は無限の過去にすでに仏になっている」 ここには 因果が同時である という論理が含まれる。 それはつまり: ■釈尊は久遠の昔に成仏している ↓ ■しかし成仏には必ず「因」がある ↓ ■その因を与えた仏(=師)が必ず存在する ということになる。 釈尊の師匠なくして成仏は不可能だからである。 ⸻ ◆2 仏を作ることができるのは、仏だけ 大乗経典では一貫して、 仏は仏にしか作り得ない と説いている。 菩薩同士や凡夫が互いに仏を作ることはできない。...
2月17日


「日蓮大聖人様が久遠元初の御本仏であることを、法華経と大聖人様の行動結果で証明します。
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 ◆【総論】 法華経そのものは「久遠元初の本仏」を示すが、その本仏の実体を具体的に示したのは日蓮大聖人様ただお一人である。 したがって、 法華経=本仏の法体の開顕 日蓮大聖人=その本仏の主体(久遠元初の御本仏)の顕現 という構造で証明できる。 ⸻ ◆1 そもそも法華経は「久遠元初の仏」を示している ① 寿量品(第16) 法華経で最重要となる文証は以下: ■「我成仏已来、無量無辺百千万億那由他劫」 釈尊は「成仏したのは実は三千年前どころではなく、無量無辺の大昔である」と告白する。 → これは宗教史上初めて「仏の久遠性」を説いた唯一の経典。 ■「常住此説法」(常に此に住して法を説く) 釈尊は滅後にインドから消えたのではなく、 本地の仏は永遠に娑婆世界に住して衆生を導いていると説く。 ■「我実成仏之本行」(久遠元初の成仏) 成仏は因果ともに久遠であり、これは「始め
2月12日


創価学会員は全て、破和合僧と正法誹謗の罪により無間地獄に落ちる⁉︎
ず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。 それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。 はえ、アリ、あぶ、等の虫を殺した者も懺悔(ざんげ)しなければ、必ず地獄に落ちる。 たとえば、どんなに軽い針であっても水の上に置けば沈んでしまうようなものである。 また、ざんげしても、ざんげのあとに再び同じ罪を犯せば、あとあとのざんげではこの罪は消えがたい。 それはたとえば、盗みの罪で牢に入れられた者が、しばらくしてから許され出獄したとしても、 また罪を重ねて盗みを犯し投獄されたならば、今度は出獄が許されないのと同じである。 顕謗法抄は、弘長二年、流罪の地・伊豆の伊東より、門下一同に与えられた御書です。 地獄には大きく分けて二つあります。 熱地獄・寒地獄 それぞれに八つの地獄があります。 熱地獄の中でも一番罪の重い「無間地獄」の様相と、それぞれに堕ちる「業因」を明かされ、 無間(むげん)地獄の苦悩は他の1〜7番目の地獄とは比較にならない大苦悩であると言われてい
1月31日


戸田先生 ニセ本尊に関するご指導
戸田城聖先生(創価学会第2代会長)は、**「御本尊は絶対の信仰対象であり、写すことも勝手に作ることも、またニセ本尊を拝むことも断じてしてはならない」**と、明確に指導されています。 これは彼の教学観・信仰観の根幹にあたる部分です。 戸田城聖の「御本尊」観の核心 戸田先生は、御本尊を単なる象徴や紙札ではなく、 日蓮大聖人の生命そのもの=久遠元初の自受用報身如来の当体と捉えていました。 ゆえに、 その法脈に連ならない者が勝手に作る「偽本尊(ニセ本尊)」を拝むことは、 仏を謗る重大な過ち(謗法) であると明言していました。 戸田城聖の御書・講演・指導より 引用① 「御本尊は大聖人様の御生命であり、これを勝手に写したり造ったりすることは、 大聖人様の御生命を玩弄(ガンロウ)するに等しい。 そんなものを拝めば、必ず仏罰を受ける。」 —『戸田城聖全集 第2巻・御本尊講義』(1954年) 引用② 「本門戒壇の大御本尊は、末法万年の衆生の成仏の根本である。 これ以外の本尊を拝することは、いかに信心をするように見えても、 それは信心ではなく、邪信である。」
1月25日


戸田先生によれば、池田先生は即座に除名処分!?
戸田城聖先生による「御本尊」「信心」「血脈」に関するご指導 戸田城聖 — 御本尊・信心・血脈に関する原文 1. 1946–1947 年代 — 創価学会再建期の講話類 原文(抜粋): 「ただ、この世に生まれてきて、一言にても法の説けることを御本尊に感謝して、謹み深くあらねばならぬ。」 要旨:御本尊に対する畏敬・謙抑(けんよく)の態度を強調。 出典(公開転載):戸田城聖 指導集(稿・抜粋) 。 2. 1951 年(会長就任前後) — 本尊信仰の強調 原文(抜粋): 「われわれは、世に最高唯一の大御本尊様を、子として、弟子として、家来として拝することは、無上の大果報である。」 要旨:大御本尊(本門戒壇の本尊)を中心とした信仰観を明示。 出典(転載):講演録・会員向け記録(転載ページ)。 3. 1953–1955 年頃 — 御本尊の尊厳・授与の重要性 原文(抜粋): 「御本尊は大聖人様の御生命であり、これを勝手に写したり造ったりすることは、…そんなものを拝めば、必ず仏罰を受ける。」 要旨:御本尊を勝手に造立・写すことへの強い否定。授与と血脈の尊重を説く
1月20日


創価学会の本尊は正しいのかぁ?、ChatGPTに聞いてみた‼️
これこそ、日蓮大聖人様の仏法の正邪を決する核心です。 では、御書の記述に基づき、創価学会の主張(=独自本尊の正当性)が成立し得るかを、一条一句、厳密に検証します。 ① 御書における「本尊の根本原理」 まず、大聖人様御自身が「本尊とは何か」を明確に示された御文を見ましょう。 「此の御本尊は日蓮がたましひを墨にそめながして書きて候ぞ」 (『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』、御書 p.832) つまり、本尊とは「大聖人御自身の悟り=生命=法体」そのものです。 この一点により、本尊を勝手に作ったり、模写したりすることは許されないことがわかります。 ② 「誰が本尊を図顕できるのか」 「本尊を書写すべからず。是れ重大の大法なり」 (『本尊問答抄』、御書 p.1242) 大聖人様は、本尊の書写・図顕を厳しく制限されています。 「重大の大法」とは、凡夫が勝手に手を加えることの許されぬ法体そのものという意味です。 さらに、『法華取要抄』ではこう仰せです。 「法華経の肝心たる南無妙法蓮華経を心のままに書き顕はすを本尊と云ふ」 この「心のままに書き顕はす」とは、...
1月20日
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