🌸 唱題によって開く「永遠の幸福(久遠の成仏)」
- 桜梅桃李倶楽部

- 2025年12月17日
- 読了時間: 4分
まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授誡又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。
それは、誡を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。

— 日蓮大聖人様の御書に示される、妙法の究極の目的 —
日蓮大聖人様の仏法は、
「末法万年尽未来際」にわたって人々を救う永遠の成仏の法です。
御書に曰く:
「我等が唱うる南無妙法蓮華経は、久遠元初の自受用身の南無妙法蓮華経なり」(御書 832頁)
ここで説かれる「久遠元初(くおんがんじょ)」とは、
時間の始まりを超えた、永遠の生命の本源。
私たち一人ひとりの中にも、もともと久遠の仏界が存在している。
つまり、南無妙法蓮華経を唱えるということは、
自分自身の中の永遠の仏を呼び覚ます行為なのです。
2. 成仏とは「特別な人」ではなく、誰もが到達できる境界
一般に「成仏」と聞くと、死後のことや、
特別な修行者だけの境地と思われがちです。
しかし日蓮大聖人様は、こう断言されます。
「凡夫成仏の法門、此の経に過ぎたるはなし」(御書 1357頁)
つまり、凡夫のまま成仏できる。
しかもそれは、今この瞬間から始まる。
唱題の功力によって、
煩悩のままに清浄の境界が現れる。
これを「煩悩即菩提」「凡夫即仏」といいます。
「煩悩を以て菩提となし、凡夫を以て仏と為す」(御書 1032頁)
3. 「南無妙法蓮華経」とは、仏の生命の実体
日蓮正宗の根本の教義では、
南無妙法蓮華経とは仏の生命そのものを表す法体(ほったい)です。
御書に曰く:
「妙法蓮華経とは、仏の命なり」(御書 832頁)
唱題とは、その命に自分の命を響かせること。
すなわち、仏と自分が一体となる行為。
この「南無」とは、
“帰命す”=全身全霊で信じ従う、という意味。
「妙法蓮華経」とは、宇宙の真理そのもの。
したがって「南無妙法蓮華経」と唱えるとき、
私たちは宇宙の根源のリズムと一体化し、
生命の中に無限の智慧・慈悲・力を呼び覚ましているのです。
4. 永遠の幸福とは、変わらぬ生命の喜び
世間の幸福は、地位や財産、健康など「一時的」なものに過ぎません。
しかし妙法による幸福は、永遠に失われない境界です。
大聖人様は次のように仰せです。
「南無妙法蓮華経の五字は、無始無終の妙法なり」(御書 831頁)
つまり、この法に結ばれた生命は、
死んでも滅びず、次の生においても妙法と共に進む。
これが久遠の成仏=永遠の幸福の境界です。
5. 成仏への道 ― 御本尊様・唱題・師弟の三要素
日蓮正宗において、成仏の道を歩むために不可欠なのが、
次の三要素です。
要素
意味
根拠
御本尊
久遠元初の自受用身如来を顕す本体
「本門の本尊を信ずるは成仏の直道なり」(御書 832頁)
唱題
御本尊に向かい南無妙法蓮華経を唱える
「題目を唱うるは仏になる道なり」(御書 1107頁)
師弟相対
正師(日蓮大聖人)を信じ、弟子として実践する
「師弟不二ならざれば成仏あるべからず」(御書 1183頁)
これら三つがそろってこそ、
正しい信心の実践となり、真の成仏が叶うのです。
6. 唱題によって開く「仏界」の現証
唱題を続けることで、次のような生命の変化が起こります。
苦難の中にも「意味」が見えてくる
人を恨む心が消え、感謝が生まれる
迷いの中に智慧が湧く
自他共に幸福を願う心が自然に起こる
これは、仏界の生命が顕れた証拠です。
「妙法を信ずる者は、凡夫なれども即ち仏なり」(御書 832頁)
唱題のたびに、あなたの中の仏が目を覚ます。
この繰り返しが、久遠の成仏への歩みなのです。
7. まとめ ― 唱題こそ「永遠の幸福」への直道
区分
内容
御書の根拠
南無妙法蓮華経
仏の生命の実体
「妙法蓮華経とは仏の命なり」
唱題
仏と我とが一体となる行為
「題目を唱うるは仏になる道なり」
久遠の成仏
永遠に崩れぬ幸福の境界
「無始無終の妙法なり」
結び ― あなたの中の「久遠の仏」を呼び覚ます
日蓮大聖人様は、
「南無妙法蓮華経と唱うる処に仏あらわれ、仏住するなり」(御書 832頁)
と仰せです。
仏は遠く天上にあるものではなく、
唱題のあなたの声の中にこそ、久遠の仏が現れる。
この妙法を信じ抜く人の人生は、
苦も楽もすべてが仏道の糧となり、
永遠に続く幸福の道を歩むことになります。
南無妙法蓮華経──
その一念に、無限の功徳と永遠の生命が息づいているのです。
【桜梅桃李倶楽部:村田】
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