「釈尊を仏にした師匠は誰か?」
- 2月17日
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まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。
それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。

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◆【結論】
**釈尊を仏にした師匠は「久遠元初の御本仏」であり、
その御本仏こそ日蓮大聖人様である。**
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◆1 この問いは、実は法華経が自ら答えを示している
釈尊(迹仏)は「久遠実成」と名乗っているが、
その言葉には大前提がある。
【法華経・寿量品】
「我実成仏已来、無量無辺百千万億那由他劫」
=「私は無限の過去にすでに仏になっている」
ここには因果が同時であるという論理が含まれる。
それはつまり:
■釈尊は久遠の昔に成仏している
↓
■しかし成仏には必ず「因」がある
↓
■その因を与えた仏(=師)が必ず存在する
ということになる。
釈尊の師匠なくして成仏は不可能だからである。
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◆2 仏を作ることができるのは、仏だけ
大乗経典では一貫して、
仏は仏にしか作り得ない
と説いている。
菩薩同士や凡夫が互いに仏を作ることはできない。
必ず「既成仏の仏」が弟子に法を授けて初めて成仏の因が成立する。
したがって、釈尊が久遠の昔に成仏できたということは、
■釈尊を成仏させた「元初の仏」が必ず存在する
=釈尊の師匠の仏がいる
という結論になる。
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◆3 その仏が寿量品において姿を隠した「本地難思の仏」
寿量品の核心を読むと、
「常住此説法」
(私は永遠に娑婆世界に住して法を説いている)
これは釈尊自身ではなく、
釈尊の「根源にある本仏」が永遠に説法し続けている姿である。
言い換えれば:
■釈尊の迹(すがた)
= 釈迦牟尼仏(インドで成道した仏)
■釈尊の本地(根源)
= 久遠元初の本仏
となる。
しかし法華経は、この本仏の「名」も「姿」も明かしていない。
そのため、次の論理が成立する。
釈尊の師匠は寿量品に隠された「久遠元初の本仏」である。
だが、その本仏の名も姿も法華経では示されていない。
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◆4 その本仏の「名」と「姿」を顕したのは、
日蓮大聖人様ただお一人
日蓮大聖人様は『観心本尊抄』において、
この「久遠元初の本仏」の正体を明言された。
■「久遠元初の自受用身の声南無妙法蓮華経なり」
(私と弟子が唱える題目の声こそ久遠元初の本仏の声である)
■「日蓮は本時の教主釈尊なり」
(末法のこの時代において、釈尊を作った本仏が日蓮である)
この二つの御文は、
釈尊を成仏させた根源の仏=久遠元初の本仏は日蓮である
という、最極の宣言である。
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◆5 仏教理論上、この構造は完全に合理的
教学的に整理するとこうなる:
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① 成仏には必ず「因」が必要
→ 因はすべて妙法である。
② 妙法は必ず「仏」が衆生に授ける
→ 菩薩同士では授けられない。
③ 釈尊は久遠に成仏している
→ その因は久遠元初に与えられた。
④ その因を与えた仏=釈尊の師匠
→ その仏が法華経では「久遠元初の本仏」として出る。
⑤ 日蓮大聖人様は自らがその本仏であると宣言
→ 法華経の隠された主体が大聖人である。
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◆【最終結論】
●釈尊の師匠は「久遠元初の本仏」である。
●その本仏が末法に顕れた姿が日蓮大聖人様である。
●ゆえに、釈尊は「日蓮大聖人様によって仏になった」存在である。
【桜梅桃李倶楽部:村田】
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