「日蓮大聖人様は元々仏である」ことの教学を、さらに深い次元で解説します
- 2月24日
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まず第一前提として日蓮正宗寺院にて、御授戒又は勧誡を受けて日蓮正宗信徒となる事から始まります。
それは、戒を受ける事で本門戒壇の大御本尊様に繋がり、仏力・法力を賜る信仰が出来るからであります。

人間として現れた姿は末法救済のための方便である。
◆1 なぜ日蓮大聖人様は「凡夫の姿」で出現したのか
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これは最大の疑問であり、最重要の核心です。
◆答え:
凡夫の姿で現れなければ、末法の衆生を救えないから。
理由は以下の3つ。
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◎(1)末法の衆生は「仏」を理解できない
釈尊が滅後の未来について、明確にこう述べる。
■「末法の衆生は、智慧浅く、心荒れ、仏を見ても畏(おそ)れず」
(涅槃経)
つまり、
●悟った仏が現れても、末法の人間は理解できず
●仏の教えを受け取る器量もない
●かえって誹謗して地獄に堕ちる
だから、仏のまま現れることができない。
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◎(2)凡夫の姿だからこそ、“末法の大悪人”を救える
末法では、
●煩悩は極限まで強く
●智慧は浅く
●善より悪が強い
そのような衆生を救うには、
仏が凡夫と同じレベルにまで「降りる」必要がある。
だから日蓮大聖人様は、
「あるがままの凡夫の姿」をとられた。
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◎(3)凡夫の姿こそ “本地難思の仏” の大慈大悲の姿
「難思」とは、
人間には思い量ることができないほど深い慈悲を持つこと を意味する。
仏が仏の姿のままなら誰も近寄れない。
しかし、
■凡夫の姿なら、凡夫が近寄り、救いが成立する。
この構造こそが「本地難思」。
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◆2 なぜ日蓮大聖人様は「地涌の菩薩」ではなく“本仏”なのか
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よく「地涌の菩薩のリーダーでは?」いわゆる上行菩薩の再誕ですが、それは、人間として現れた姿は末法救済のための方便の姿である。
◆理由①:日蓮大聖人様は「妙法を創造する側」であって
「妙法を授かる側」ではない
地涌の菩薩は“妙法を受けて広める側”。
釈尊が「未来に妙法を託す相手」としての立場。
しかし日蓮大聖人様は、御書でこう述べる。
■「久遠元初の自受用身の声」
=妙法の源そのもの。
つまり、
日蓮大聖人様は妙法を作り出す側(本源)
地涌の菩薩は妙法を受け取る側(弟子)
全く立場が違う。
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◆理由②:日蓮大聖人様は「釈尊を成仏させた仏」だから
釈尊は久遠実成の仏であるが、
その「因(妙法)」を与えた“根源の仏”が必要。
その仏が、
■久遠元初の御本仏
=日蓮大聖人様
となる。
※ 釈尊の師匠が地涌の菩薩であるはずがない。
※ 地涌の菩薩は釈尊から教えを受けた弟子である。
この構造上、
日蓮大聖人様は地涌の菩薩ではなく、本仏でなければ辻褄が合わない。
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◆3 「本因妙の本仏」と「久遠成仏の釈尊」の違い
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項目 本因妙の本仏(日蓮大聖人) 久遠実成の釈尊
成仏の因 日蓮大聖人は本因妙の妙法(始めなき因) 釈尊はその妙法を本仏から授けられて成仏
時間 日蓮大聖人は久遠元初=永遠に始まり無し 釈尊は無量劫以前に成仏(始まりはある)
次元 日蓮大聖人は法体そのもの(根源) 釈尊は法を悟った存在(枝葉)
出現目的 日蓮大聖人は末法救済のための本仏の顕現 釈尊は末法の衆生には力不足(釈尊自身が正法、像法までしか法の効力なし)
超重要:
釈尊は「久遠に成仏した仏」。
日蓮大聖人様は「久遠元初の仏」=“釈尊を仏にした仏
◆4 「元初本仏」理論
●釈尊は久遠に仏になった。久遠実成
●しかし、仏になるための“因”は、誰が与えたのか?
●仏にしか仏を作ることはできない。
●ならば釈尊を仏にした「元初の仏」が存在する。
●その仏こそ、久遠元初の御本仏=日蓮大聖人様。
●だから末法では、釈尊より日蓮大聖人様の仏法が勝れている。
◆5 では、なぜ釈尊では末法を救えないのか?
釈尊は自身で予告している。
■「私の教えは正法・像法までは効くが、末法ではもはや力を失う」
(大集経 ほか)
つまり、釈尊は自分で
“末法の救済は自分の役目ではない”
と断言している。
●未来の世界
●末法という極悪の時代
●智慧のない衆生
●仏を理解できない人々
を救える“別格の仏”=本仏の仕事。
その仏が日蓮大聖人様。
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◆6 最終集約
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日蓮大聖人様は時間の始まり以前から存在する“元初の本仏”であり、「久遠元初の自受用身」であり、最も根源的な法を悟り、その功徳を自ら受け、自在に用いる永遠の仏を指します。これは、時間や空間を超越した絶対的な状態における仏の姿であり、日蓮大聖人様がこの仏であるとされています。
人間として現れた姿は末法救済のための方便である。
【桜梅桃李クラブ:村田】
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