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​桜梅桃李倶楽部

「創価学会員の願いが叶わないことがある理由」

7月7日
読了時間: 5分
大石寺

創価学会は現世利益的な宗教団体に成り下がっていますが、本来の信仰の目的は、罪障消滅、成仏、広宣流布であり、これらをする事によってその結果として願いが叶うのであって、現世利益のみが目的ではありません。



① 仏法は「願いを叶える呪術」ではない


まず大前提として、

日蓮大聖人様の仏法は


「唱えれば自動的に願いが叶う法」

ではありません。


大聖人様は、


「祈りといっても、行いが肝要である」

(趣意)


と示されています。


本来の仏法は

罪障を消滅する

生命を変える

生き方を変える


ことによって、結果として現実が変わる法です。


ですから

・信の向き

・修行の内容

・法の正邪

がずれていれば、「願っても叶わない」ことは当然起こります。


⸻


②「正しい法に対する信」から外れている可能性


日蓮大聖人様は、


「法に依って人に依らざれ」

の立場を明確にされています。


もし信仰が


・人についている

・組織についている

・雰囲気についている

・体験談についている


ものになれば、**それはもはや信心ではなく“依存”**になります。


創価学会は既に日蓮大聖人様の仏法の血脈・大御本尊・僧宝から離れており、

「本当に依るべき法」から外れているため、功徳が不安定になり、願いも叶わなくなる。


願いが叶わない最大の根本原因は

「正法に立脚していないこと」にある、という見方です。


⸻


③「都合のいい信心」になっている


願いが叶わない人に多いのは、


・苦しい時だけ祈る

・都合の悪い教えは聞かない

・自分の欲望中心

・折伏や実践を避ける


という姿です。


大聖人様は、


「信心は血脈なり」

「受持は心なり」


と仰せです。


自分を変える信心か

利益だけを求める信心か


この違いは、必ず結果に現れます。


「叶わない」のではなく、

“叶う方向へ進む信心になっていない”という場合が非常に多いです。


⸻


④ 罪障消滅の途中段階で止まっている


仏法では、願いがすぐ叶わない時、


・重い罪障が動いている

・過去世の因果が出ている

・生命を作り替えている最中


という場合もあります。


この時に、


「叶わないからやめる」

「疑いに変わる」

「人のせいにする」


となると、罪障消滅が途中で止まります。


本来はここが一番大事な局面ですが、

創価学会の指導は「簡単に叶う」「体験至上主義」に傾きやすく、

この“耐えて信を深める局面”を越えられない人が多いのも現実です。


⸻


⑤ 「願いの質」そのものが低い


大聖人様の仏法は


願いを叶えるために信心する

のではなく


信心によって境涯を上げ、その結果として願いが叶う


という順序です。


・他人を不幸にする願い

・逃げの願い

・依存の願い

・慢心の願い


こうした願いは、たとえ一時叶っても、必ず苦しみに変わります。


叶わないのは「罰」ではなく、

その願い自体が仏法の軌道に乗っていないことも多いのです。


⸻


まとめ


創価学会員の願いが叶わない理由は、単純に一つではなく、

1. 仏法を呪術化している

2. 正法から外れている

3. 人依存・組織依存になっている

4. 宿業転換の途中で止まっている

5. 願いの質が低い



結論から言えば、

 「正法・正師・正信に立っていないこと」こそが根本原因である


■ 正法が違う


日蓮大聖人様の仏法における「正法」とは、

単に「南無妙法蓮華経」と唱えることではなく、


三大秘法が具足していること

本門戒壇の大御本尊に対する信

日蓮大聖人様から代々の御法主上人猊下に血脈相承された法体


がそろって初めて「正法」となります。


創価学会は、日蓮正宗から破門されて以降、

大御本尊を離れ

僧宝を否定し

勝手解釈の御本尊・教学を立て


法そのものの依処が変わっています。


大聖人様は、


「法に依って人に依らざれ」


と仰せであり、

正法を離れた信心は、どれほど熱心でも正信とはならないとされます。


⸻


■ 正師がいない


仏法は必ず


法

師

弟子


の三つが具わって流れます。


日蓮正宗では、

大聖人様 → 日興上人 → 歴代法主上人

という血脈の正師が厳然と存在します。


創価学会はこの僧宝を否定し、

「師弟」を思想化・組織化し、

現実の血脈の師から離れています。


大聖人様は、


「師なくしては仏法成ぜず」


と明言され、

正師を離れた修行は、功徳どころか迷いを深めるとまで厳しく説かれています。


正師がいなければ、修行は自己流になり、

願いも功徳も不安定・主観的・現世利益止まりになります。


⸻


■ 正信ではない


正信とは、


正法を信じ

正師に随順し

自我よりも法を上に置く心


です。


ところが創価学会の信仰は、


・指導が時代で変わる

・都合よく教学を組み替える

・「心が大事」「祈りが大事」にすり替える


という傾向が強く、

信が自己基準に変わっています。


これは大聖人様が戒められた


「我見をもって仏見と為す」


の姿であり、

正信から外れるため、結果も仏法の軌道から外れていきます。


⸻


■ なぜ「願いが叶わない」という形で現れるのか


仏法は因果が厳密です。


正法・正師・正信に立っていなければ、

唱題しても仏界の因にはならず、

善業や精神安定の範囲にとどまります。


そのため、


・叶ったり叶わなかったり

・一時良くなっても崩れる

・根本解決にならない


という現象が多発します。


本人は「信心しているつもり」でも、

因が正しくなければ、結果は正しく出ません。


⸻


■ まとめ(端的に言えば)


創価学会員の願いが叶わない根本原因は、


正法ではない

正師がいない

正信になっていない


この三つが崩れていることに尽きます。


だからこそ大聖人様は、


「一凶を禁じざれば万善来たらず」


どんなに善いことをしても

どんなに祈っても

どんなに頑張っても


“根本の依り所が間違っていたら、仏法の功徳は出ない”


と示され、

まず依処を正しなさいと仰せなのです。


【桜梅桃李クラブ:村田】


 
 
 

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