「創価学会員の願いが叶わないことがある理由」

創価学会は現世利益的な宗教団体に成り下がっていますが、本来の信仰の目的は、罪障消滅、成仏、広宣流布であり、これらをする事によってその結果として願いが叶うのであって、現世利益のみが目的ではありません。
① 仏法は「願いを叶える呪術」ではない
まず大前提として、
日蓮大聖人様の仏法は
「唱えれば自動的に願いが叶う法」
ではありません。
大聖人様は、
「祈りといっても、行いが肝要である」
(趣意)
と示されています。
本来の仏法は
罪障を消滅する
生命を変える
生き方を変える
ことによって、結果として現実が変わる法です。
ですから
・信の向き
・修行の内容
・法の正邪
がずれていれば、「願っても叶わない」ことは当然起こります。
⸻
②「正しい法に対する信」から外れている可能性
日蓮大聖人様は、
「法に依って人に依らざれ」
の立場を明確にされています。
もし信仰が
・人についている
・組織についている
・雰囲気についている
・体験談についている
ものになれば、**それはもはや信心ではなく“依存”**になります。
創価学会は既に日蓮大聖人様の仏法の血脈・大御本尊・僧宝から離れており、
「本当に依るべき法」から外れているため、功徳が不安定になり、願いも叶わなくなる。
願いが叶わない最大の根本原因は
「正法に立脚していないこと」にある、という見方です。
⸻
③「都合のいい信心」になっている
願いが叶わない人に多いのは、
・苦しい時だけ祈る
・都合の悪い教えは聞かない
・自分の欲望中心
・折伏や実践を避ける
という姿です。
大聖人様は、
「信心は血脈なり」
「受持は心なり」
と仰せです。
自分を変える信心か
利益だけを求める信心か
この違いは、必ず結果に現れます。
「叶わない」のではなく、
“叶う方向へ進む信心になっていない”という場合が非常に多いです。
⸻
④ 罪障消滅の途中段階で止まっている
仏法では、願いがすぐ叶わない時、
・重い罪障が動いている
・過去世の因果が出ている
・生命を作り替えている最中
という場合もあります。
この時に、
「叶わないからやめる」
「疑いに変わる」
「人のせいにする」
となると、罪障消滅が途中で止まります。
本来はここが一番大事な局面ですが、
創価学会の指導は「簡単に叶う」「体験至上主義」に傾きやすく、
この“耐えて信を深める局面”を越えられない人が多いのも現実です。
⸻
⑤ 「願いの質」そのものが低い
大聖人様の仏法は
願いを叶えるために信心する
のではなく
信心によって境涯を上げ、その結果として願いが叶う
という順序です。
・他人を不幸にする願い
・逃げの願い
・依存の願い
・慢心の願い
こうした願いは、たとえ一時叶っても、必ず苦しみに変わります。
叶わないのは「罰」ではなく、
その願い自体が仏法の軌道に乗っていないことも多いのです。
⸻
まとめ
創価学会員の願いが叶わない理由は、単純に一つではなく、
1. 仏法を呪術化している
2. 正法から外れている
3. 人依存・組織依存になっている
4. 宿業転換の途中で止まっている
5. 願いの質が低い
結論から言えば、
「正法・正師・正信に立っていないこと」こそが根本原因である
■ 正法が違う
日蓮大聖人様の仏法における「正法」とは、
単に「南無妙法蓮華経」と唱えることではなく、
三大秘法が具足していること
本門戒壇の大御本尊に対する信
日蓮大聖人様から代々の御法主上人猊下に血脈相承された法体
がそろって初めて「正法」となります。
創価学会は、日蓮正宗から破門されて以降、
大御本尊を離れ
僧宝を否定し
勝手解釈の御本尊・教学を立て
法そのものの依処が変わっています。
大聖人様は、
「法に依って人に依らざれ」
と仰せであり、
正法を離れた信心は、どれほど熱心でも正信とはならないとされます。
⸻
■ 正師がいない
仏法は必ず
法
師
弟子
の三つが具わって流れます。
日蓮正宗では、
大聖人様 → 日興上人 → 歴代法主上人
という血脈の正師が厳然と存在します。
創価学会はこの僧宝を否定し、
「師弟」を思想化・組織化し、
現実の血脈の師から離れています。
大聖人様は、
「師なくしては仏法成ぜず」
と明言され、
正師を離れた修行は、功徳どころか迷いを深めるとまで厳しく説かれています。
正師がいなければ、修行は自己流になり、
願いも功徳も不安定・主観的・現世利益止まりになります。
⸻
■ 正信ではない
正信とは、
正法を信じ
正師に随順し
自我よりも法を上に置く心
です。
ところが創価学会の信仰は、
・指導が時代で変わる
・都合よく教学を組み替える
・「心が大事」「祈りが大事」にすり替える
という傾向が強く、
信が自己基準に変わっています。
これは大聖人様が戒められた
「我見をもって仏見と為す」
の姿であり、
正信から外れるため、結果も仏法の軌道から外れていきます。
⸻
■ なぜ「願いが叶わない」という形で現れるのか
仏法は因果が厳密です。
正法・正師・正信に立っていなければ、
唱題しても仏界の因にはならず、
善業や精神安定の範囲にとどまります。
そのため、
・叶ったり叶わなかったり
・一時良くなっても崩れる
・根本解決にならない
という現象が多発します。
本人は「信心しているつもり」でも、
因が正しくなければ、結果は正しく出ません。
⸻
■ まとめ(端的に言えば)
創価学会員の願いが叶わない根本原因は、
正法ではない
正師がいない
正信になっていない
この三つが崩れていることに尽きます。
だからこそ大聖人様は、
「一凶を禁じざれば万善来たらず」
どんなに善いことをしても
どんなに祈っても
どんなに頑張っても
“根本の依り所が間違っていたら、仏法の功徳は出ない”
と示され、
まず依処を正しなさいと仰せなのです。
【桜梅桃李クラブ:村田】
コメント